ネタバレ
このゲームは、実際にプレイして最後まで見てみると、意外と凝っていることがわかります。
たとえばタイトルは「I have a fear」ですが、これが終盤では「I had a fear」と変わります。エンディング後のメッセージでは、その恐怖(fear)が「You will be disappointed(お前はガッカリされるよ)」と思われることだと明かされます。
タイトルが変わる直前の作者のモノローグで、「I had a fear」「It became real」つまり『恐怖が現実のものとなったから、「恐怖がある」ではなく「恐怖があった」と過去形に変わった』ということなのです。
つまりこのゲームの「恐怖(fear)」とは、ゲームの作者としてプレイヤーを満足させられずに「ガッカリされる」という恐怖なのです。
私もかつてゲームを作る道を目指し、そこから小説を書く道へと変更し、最終的に現在はこうしてゲームの情報をまとめるサイトを運営しています。作品を途中で投げ出すことになってしまう虚しさや、「誰もコレを気に入らないのでは?」と不安になる思いはある程度わかります。
そうした意味では、ゲームを作ることに限らず、音楽やマンガの道を目指す人や、バイトや会社員としてでもなんとか今をがんばって生きる人には、少なからずいろいろな人に響くテーマでしょう。いわば「何者かになる」ことを目指して、「何者にもなれない」という恐怖だからです。
しかしこれはゲームの恐怖としては、あまり質がよくないのです。なぜならコレに「わかるよ」と同意したとして、傷の舐め合いにしかならないからです。
たとえば根本的な恐怖である「死」は、舐め合ったところで意味がありません。さっきまで自分の傷を舐めてくれていた人が次の瞬間には死んでいて、さっきまで自分が傷を舐めてあげていた人が次の瞬間には死んでいるかもしれない恐怖だからです。
慰めの言葉を使うなら、インディゲームとしてはコレで充分でしょう。芽の出ないバンドや登録者数を増やせていないYouTuberが「こうやって冴えないままずっといるって怖いよね」っていっていたとしても、たしかにそれには同意できますし別に構わないでしょう。
しかし上を目指すなら、そんな慰めの言葉に満足していてはいけません。諦めの言葉や甘い許しの言葉を探して、そうした恐怖や不安に負けてはいられないのです。
だから基準は、「諦めてもイイと思っている」か「本当に誰かを満足させる何者かになりたいと思っている」かの差でしょう。このゲームの作者が諦めてイイと思っているなら私はこのゲームを、「インディとしては上等」として褒めますし、それでもプロになるべく上を目指すのであれば、「この恐怖の質は高くないですよ」と指摘します。
ゲーム内のモノローグでも「I’ll just… Keep working(ただ……作り続けるしかない)」と語られます。実際この言葉にはある程度の真実があり、成功をつかんで何者かになるには”続ける”しかありません。これは私も同じで、このサイトを続けることが1つの道です。
もし上を目指すのなら、この程度の恐怖は「もっと上質な恐怖」を育てるための餌にでもしたほうが価値があります。不安や恐怖をエネルギーにして、作り続けて何者かになるほうが意味があります。ここでも条件は、「上へ目指すつもりがあるかないか」ですが。そのつもりがないなら、このくらいの恐怖に怯えていても構わないでしょう。
読む人によってはかなりうざったいと感じられる文章になってしまったかもしれません。しかし、もし作者の方がこの文章を読むようなことがあったなら、「あなたがその恐怖に打ち克って次の恐怖を描くつもりがあるなら、このゲームには批判を添えた上で応援します」というのが、このゲームへの私の感想になります。