以前「PCっていったいなに? 人体に譬えてみよう!」というエントリで、PCの各種パーツが人間の体の一部だったらどうなるだろう、というふうな比喩を試みてみました。結論としては、PCの多くのパーツは人間の「脳」にあたるもので、PCとは「保護ケースに入れられた脳」に近いことがわかりました。
では今回は、PC全体を人間に譬えるのではなく、PCが会社のようなもので、そのなかに働く擬人化された存在がいる、というふうな比喩のしかたを試してみましょう。
このエントリのポイント
- 擬人化するとわかりやすくなる。
- PCとは会社である。
- PCはブラック企業だ!
- 人間と機械の違いに気をつけよう。
ことの始まり
Twitterにて、いくつかのPC用語を譬えるツイートがバズっていました。
このツイートに関するTogetterのまとめがこちらです。
RT数・お気に入り数が多いということは、肯定にせよ批判にせよ人々の興味を引いているということです。しかし譬えられている項目は決して多くないため、PC全体を把握することは難しいでしょう。この比喩はツイート者本人ではなく、先輩に聞いたものだということですので、その先輩がさらに新しい譬えを教えてくれるなどしない限り、この項目が増えることはないでしょう。
最大の魅力は「親近感」
この比喩の最大の魅力は、「おっさん」という存在に他ならないでしょう。艦隊これくしょんをはじめとした「擬人化」は、とても親近感を湧かせやすい手法です。ツイートの情報では特にCPUを主体に譬えられており、CPUの忙しさ、甲斐甲斐しさが伺えます。
また親近感だけでなく、我々も人間なので自分と比較することで理解も早くなることでしょう。
改変の要綱
この比喩を拡張・改変するにあたり、気をつけておきたい点、方針などを、まずまとめて記載しておきます。
そうした情報に頓着しない方は、次の「PCとは会社である」まで飛ばしていただいて問題ありません。
おっさん→妖精
元ツイートではCPUなどが「おっさん」になぞらえられていましたが、今回はこれを「妖精」に譬えておきましょう。いわば「小人の靴屋」のように人間の代わりに作業をしてくれる妖精です。
「おっさん」のままのほうが親近感が湧きやすい人もいるとは思いますが、このサイトのテイストと異なるため、改変する次第です。
基本的にここでは「妖精」とだけ表記しますので、どのような姿であるかは自由に想像していただいて構いません。
目的は「拡張」
このエントリの目的は、あくまでツイートにあった比喩の「拡張」にあります。つまりメモとして画像に記載されていたいくつかの項目を、PC全体に広げようという試みです。
そのため比喩として全体的な整合性をとったりわかりやすくしたりするために多少の改変は行いますが、改変が目的ではなく広げることが主目的と設定しておきます。
批判は基本的にしない
また批判も基本的に行いません。この比喩がどれくらい正しく誤っているか、基本的に筆者が判断しないようにします。それは見る人が行うべきでしょう。
これはツイート者や発案者の方々を不機嫌にさせることが目的ではないからです。
そして筆者の「拡張」がより正しいと主張したいわけでもありませんので、その拡張が不適切であれば批判は当然ながら受け入れます。
否定もしない
批判を建設的な誤りの指摘だとすれば、否定とは非建設的なこきおろしだといえます。もちろん否定や避難も行いません。これは批判を行わない理由と重複しますが、ツイート者や発案者への配慮だけでなく、建設的な情報を掲載することがこのサイトの目的でもあるからです。
全体的に整合性をとる
元ツイートの情報を拡張するにあたり、全体的な整合性をとるために調整することがあります。「おっさん」に譬えられたのを「妖精」と改変しているのが、その例のひとつです。
また元の情報ではCPU関連の用語が多めに見られましたが、ここではPCの各パーツに敷衍するために、あえて「ターボブースト」などの用語を集中的に取り上げることなく、全体的な比喩の水準を揃えています。
メリットとデメリットを明記する
またなるべくツイート者や発案者へ配慮しますが、建設的な見方を補うという理由で、この比喩がどう特徴的であるかを、メリットないしデメリットを併記するという形式で行います。これはこの比喩が唯一無二の絶対的なものではなく、相対的にいいところとよくないところがあるという比喩という手法であるため、それを明記しておくのがより建設的であるという判断のためです。
PCとは会社である
さて、では該当の比喩を広げていきましょう。
元の情報から大きな特徴として取り上げられるのは、CPU(のコア)が人物に置き換えられている点です。細かくは、CPUそれ自体が擬人化されているのではなく、その内部の「コア」が擬人化されているということです。つまり「CPUが仕事をしてくれている」ではなく「コアが仕事をしてくれている」という捉え方であるわけです。
この点を考慮すると、CPUの内部にそうした存在がいくらかいて、様々な処理を行ってくれているという考え方になります。CPUはコアの外枠だということです。
また「残業」という言葉が用いられていることから、この考え方であればPC全体は「会社」のようなものだと見なすことができます。
(改変の要綱を飛ばした方のために明記しておくと、このエントリでは「おっさん」ではなく「妖精」と名称を変更しています)
CPUは部署
CPUの内部、特にコアに作業を実践してくれている存在がいるということでした。これはまさに「小人の靴屋」の妖精の小人たちのように、人間に代わって作業を行ってくれています。
おとぎ話のほうではどう現れるかわからず自由に行動していきますが、CPUの内部の妖精はどのCPUにも存在していて人間の命令に従います。
CPUは実務処理
CPUは「中央演算処理装置」といわれます。この名前からまず読み取っておきたいのは、「中央」と「演算処理」というところです。すなわちCPUは「PCの中央」であり演算すなわち「計算」をするパーツであるということです。
つまりその内部にいて実質的に計算をしている妖精たちは、PC全体の実務処理をしてくれているわけです。
この「CPU」という部署にいる妖精たちは、命令をこなします。この妖精が人間と異なるのは、完全な「指示待ち族」であることです。命令が与えられない限り、勝手な行動を起こしたり処理を施したりしません。
もしCPUで勝手な判断をしたならそれは自我があるということで、SFなどで描かれる「機械の自我」の芽生えであり、「人間への反乱」の予兆だといえるでしょう。しかし現状ではCPUにそのような勝手な判断はしません。
機械が理解する命令
実質的には、人間が要求する命令とCPUが処理する命令は異なり、後者のCPUが1つ1つ処理する命令はもっと複雑なものです。
たとえば人間がPCに命令して10+10を計算するには、今ならGoogleなりYahooなり検索エンジンで「10+10」と入力すれば「20」という答えを返してくれます。
しかし本質的にPCは「10(十)」という10進数を理解せず、2進数でしか理解できません。そのため「(10進数の)10」は「1010」と表記される2進数の十で計算します。2進数などを細かく説明すると余白を大きく使うことになりいくらか専門的にもなるため省略しますが、2進数の「1010+1010」を2進数のまま計算すると「10100」となります。この「10100」を10進数に戻すと「20」になります。
このように単なる計算でも「人間の命令」を人間の方式で理解しているのではなく、機械独自の方式で処理していることがわかります。いわばこの妖精たちは専門的な職に就いており、それを細かく理解するには人間の方式ではうまくいかないのです。
CPUの用語
ところで元情報では、CPUについて「コア」「スレッド」「周波数」「ターボブースト」が述べられていました。そしてこれらを妖精たちの仕事として譬え直すなら、コアが「妖精の数」、スレッドが「妖精がもてるペンの数」、周波数が「ペンを動かす速さ」、ターボブーストが「残業時の腕の速さ」と言い直せます。
ターボブーストはさほど重要でないため、ここでは省略します。
コアとスレッド
まずコアとスレッドについてです。複数のコアが搭載されたCPUを「マルチコアプロセッサ」といいます。「プロセッサ」とはCPUの「P(プロセッシング)」と同類で、「処理するもの」と見なしてください。2つのコアなら「デュアルコア」、4つなら「クアッドコア」、6つなら「ヘキサコア」と呼ばれることを知っている人もいるでしょう。
このCPUという部署には、コアの量だけ妖精がいます。実社会の会社からすると少数精鋭だといえます。
そして1つのコアに対して、現在では2倍のスレッドが論理的(または仮想的)に利用できます。これを「マルチスレッディング」と呼びます。現在は1コアに対して2スレッドが主流ですが、かつては1コア1スレッドが当然でしたので、将来的にもっと増える可能性もあります。
このスレッドを「腕の数」と見なすのは、2つのときに限定されやすいとしても、秀逸な譬えだといえます。この譬えなら直感的にわかることでしょう。ただ現実的には人間が両手にペンをもったとしても書く速度などが2倍にならない(両手で別の文章を書くのは難しく、また2つ同時に文章を構築できるかは人による)ことがあるため、あくまで比喩であることを忘れないほうがいいでしょう。
周波数
周波数は「GHz(ギガヘルツ)」という単位で表されるCPUの能力を示す指標です。CPUは「クロック」と呼ばれる周期的な信号に合わせて動作し、周波数とは「1秒間に何クロック動作するか」を表しています。すなわち1GHzでは「1秒間に10億回クロックが動作する」ということを意味します。
周波数がペンを動かす速さだとしたら、この妖精はまさに超人的な動きをしていることになります。
CPUのメーカーとシリーズ
CPUを販売しているメーカーはIntelとAMDの2社が、シェアが大きく有名です。これはいわば妖精たちを養育訓練した企業となるかもしれません。もしくは派遣会社と認識するのもおもしろいかもしれません。
CPUにはそれぞれ有名なシリーズがあり、Intel製であれば「i3」「i5」「i7」「i9」などが特に有名でしょう。これらはコア数でわけられることがありますが、大まかには性能の差と見て構わないでしょう。つまり「i9」がコア数の多く有能なCPU(18コアの製品などもあります)で、「i3」に近づくにつれてコア数も能力も穏やかになっていく、という具合です。
マルチプロセッサ
複数のプロセッサを利用するシステムを「マルチプロセッサ」と呼びますが、個人で使用するPCでは利用されません。
CPUを部署と見なすならばマルチプロセッサは「CPU部一課」と「CPU部二課」のように別れているようなものです。個人使用のPCでは1つだけで充分ですので、二課をほとんど必要としません。
「マルチ」とは英語の「multi-」という接頭辞(言葉の頭によくつく語)で、「複数の」という意味を示します。CPUなどでは同時に複数の処理をさせるなど試みられ、そのため「マルチ」が頭につく用語がいくつかあります。マルチコアはコアが複数あること(マルチコアプロセッサはコアが複数あるプロセッサ)、マルチスレッディングはスレッドが複数あること、マルチプロセッサはプロセッサが複数あること、と区別しておきましょう。
交換するときはCPUごと
このCPU部署は、基本的に妖精たち「人員」とその他の実務に関する諸々が一括でまとめられています。そのため現在のCPU部に不満がある場合は、「妖精1人だけを交換」というわけにはいかず、「CPU部をそっくり交換する」という仕組みになっています。
メモリやストレージは保管庫
次にメモリとストレージについてです。この2つは「記憶装置」としてまとめることができます。元情報では、メモリが「机の大きさ」でストレージが「引き出し」とされています。これはメモリがよく「作業台」などに譬えられることを用いたものだと思われます。
このまま解釈する人がいることはまったく構わないのですが、今回のこの「全体的な比喩に拡張する」という試みにおいては、やや規模が小さくなってしまいます。メモリが机であると、「妖精(CPUコア)がいる部署内のもの」であるように錯覚されてしまうので、いささか避けたいのです。そのためこの記憶領域の規模を元情報より大きく見なして、全体的に「保管庫」と見なすことにしましょう。
基準は「どれくらい手軽か」
どのような保管庫か、それは記憶領域の種類に依ります。まずメモリとストレージについて比較しましょう。
メモリとストレージは同種の「記憶装置」ではありますが、実際に区別されることがほとんどで、PCとして使用する際にも設置個所や接続規格、価格や使用方法などもいくらか異なります。
実質的にメモリは「CPUをサポートする保管庫」として、ストレージは「データの保存場所」として利用されるという区分がほとんどです。
メモリとストレージはまずCPUからの経路が違います。この経路のことを「バス」と呼びます(語源は乗り物のバスであるとされています)。このバスはPCという会社では「廊下」やA棟B棟などの区分、つまり「アクセスのしやすさ」に直結しています。
メモリはアクセスが楽ですが容量が少なく、ストレージはアクセスが遅いのですがそのぶん多くのデータを保管しておけます。
HDDとSSD
次にストレージを細分化すると、HDDとSSDに分けられます。HDDは容量が多いのですが遅く、SSDは容量がいくらか少ないぶんHDDより高速です。SSDはメモリとHDDの中間的な認識でも、大まかには問題ないでしょう。
なおSSDは書き込み回数に上限があるため「寿命が短い」とされています。これはいわばプレハブのようにある程度の期間しか使用できないことを想定した運用の保管庫といえます。
レジスタとキャッシュ
実際にはメモリより高速な記憶装置があり、それぞれ「レジスタ」と「キャッシュ」と呼ばれます(両者ともCPU内に組み込まれることが多く、直接目にする機会が少ないため、自作PCをする人でも気にしない人はいます)。
レジスタはもっともCPUコア(≒妖精)に近く高速ですが容量がごくわずかです。キャッシュは「L1」「L2」「L3」(Lはレベルの略)などが製品によって決められています。L1がCPUに近く、数字が大きいほど遠くなります。
CPUコア(≒妖精)との近さなどを考えてみると、レジスタを「机の広さ」、L1キャッシュを「机の上のラック」、L2キャッシュを「引き出し」、L3を「後ろのロッカー」などと区分して考えてみるのもおもしろいかもしれません。
メモリやストレージとの違い、レジスタとキャッシュはCPUに組み込まれていることもあり、単体で交換することができずCPUとまとめて交換することになります。
記憶領域は実務をするCPUコア(≒妖精)からの距離とアクセスのしやすさで利用方法が変わります。
記憶領域について大まかにまとめると、おおよそ高速な順から、レジスタ→キャッシュ→メモリ→SSD→HDDと見なすことができます。
保管庫からの情報取得の方法
妖精たちはCPU部署にいるコアとして、部署から離れることなく働き詰めの状態です。そのためCPU内部にあるレジスタやキャッシュ(机やロッカー)の情報は自ら取り出すことができます。しかしCPU部署の外にあるメモリやストレージのデータはどのように持ってくるのでしょうか?
これはいわば情報をCPU部署に届けるために、「運搬係」のような人員がいるようなものです(この人員も「妖精」と捉えるか否かはご自由にお考えください)。
CPU部署のコアは実務処理役として、運搬係はただ情報を運搬する役として、完全に役割は区分けされ、お互いがお互いの業務を肩代わりすることはありません。
グラボは「アニメ子会社」
次にPCでゲームをプレイする際とても重要なグラフィックボードです。元情報では「色鉛筆」と記述されています。これもおもしろい譬えだと思います。それはグラフィックボードの「映像処理」という能力についてというより、GPUに対して巧みに譬えられているものだと感じられます。
グラフィックボードの内部には、GPU(Gはグラフィックの頭文字)という精密機械が搭載されています。これはCPUにとても似た部品なのです(CPUのCは中央という意味のセントラルの頭文字)。そのためCPUコアが擬人化されていた点が、このGPUでも活用されており、妖精が利用する「色鉛筆」として見なすことに違和感がないのです。
色鉛筆という譬えは巧みなものなのですが、「PC全体に比喩を適用する」というこのエントリの目的のため、少し改変しようと思います。色鉛筆ではやや規模が小さく感じられるため、より大きくするために「アニメ子会社」と仮定してみましょう。
GPUには「アニメーター」がいる
GPUはグラフィックボードの主要部品で、映像の処理を行います。PCゲームの処理を行う他、動画などの処理、マルチモニタ化を行う際にも重要となります。
高性能なグラフィックボードが利用される理由は、PCゲームをプレイするためであることが多いでしょう。
このGPUは前述のようにCPUと似た部分があり、そのためGPUも「妖精」を抱える部署であると見なせます。あまりいい比較ではないのですが、大きな違いとしてコアの違いがあり、CPUでは1つの製品に多くて10を超えるコア数が搭載されていましたが、グラフィックボードでは1つの製品に数百~数千のコア(NVIDIA製だとCUDAコアと呼ばれる)が搭載されています。コアとして名称は似ていますが、処理方法は異なるため同一ではないことには留意しておいてください。
GPUの妖精であるアニメーターたちが使う画材はいろいろなものがあると考えたほうが、その処理できる情報を幅広く認識することができるでしょう。色鉛筆を使って絵画を描くことができますし、アニメや動画を処理することもできます。またユーザーがゲームをプレイするときも魔法のように映像を描画してくれるのです。
GPUはグラボに組み込まれている
GPUはグラフィックボードにあらかじめ搭載されています。そしてCPUはクーラーと別のパーツとして認識されていますが、ある程度の性能以上のグラフィックボード製品ではすでにファンが搭載されています。つまりグラフィックボードの価格は「GPU+ファン」だという製品もあります(すべてのグラフィックボードにファンがついているわけではありません)。
この点を考慮すると、グラフィックボードは高価かもしれませんがそれ単体で大きく能力をアップできるパーツでもあります。CPUの妖精たちからすると「アニメ子会社」が「専用のエアコン」を携えて現れるようなもので、少し手助けするだけでゲームなどの処理を行うことができるのです。
この「グラフィックボード≠GPU」という点と「CPU≒GPU」という点を加味すると、グラフィックボードを「部署」と見なすことはCPUとグラフィックボードを同規模に見てしまうことになります。そのためグラフィックボードはGPU(≒部署)を抱える「子会社」と考えるほうが理に適っているでしょう。
「映画子会社」や「ゲーム子会社」でもOK
元情報の「色鉛筆」という譬えを汲んで、ここでは「アニメ子会社」と設定しました。必ずしもアニメである必要はないので、好みに合わせて「映画子会社」や「ゲーム子会社」と自由に改変して解釈していただいて構いません。
電源ユニットは「食堂」
次に「電源ユニット」です。やや影の薄いパーツではありますが、「電源を供給する」という特性上どうしても欠かせないものでもあります。これを妖精たちのPCの世界で譬えるなら、電源ユニットは「食堂」だといえるでしょう。なぜなら「エネルギー補給」を担うパーツなので、これを機械ではなく生物の世界になぞらえると「食べる」という行為に関するものになるでしょう(妖精も食べてエネルギー補給すると、ここでは仮定しましょう)。
ただ一般的な企業の食堂と異なる点があるとすれば、「昼時や食事時に社員が食べるスペース」というよりも「絶え間なく従業員にエネルギーを補給すべく食事を届けて提供する施設」に近いでしょう。これは生物の「食事」と機械の「電気」を補給する行為における「エネルギー補給」の違いの表れです。
ノートPCなどでは「充電」となりますので、こちらのほうが人間の食事に近く理解しやすいでしょうか。
機械的エネルギー補給を人間側に近づけるのではなく、人間側のエネルギー補給で機械側に近づけるのであれば、「点滴」が近いかもしれません。ふつう動物は口から食料を補給し、胃で分解して腸で吸収します。電気というエネルギーはこの「消化」の過程が必要ないので、同様に消化する必要のない点滴が近くなるのです。
総合的には「維持費」
CPUなどではTDPという指標があります。これはサーマル・デザイン・パワー(Thermal Design Power:熱設計電力)の略で、最大でどれくらい熱を発するかを表しています。「どれくらい電力が必要か」という指標としても認識されることがあります。これが妖精(CPUコア)の食事として譬えられるでしょうか。
グラフィックボードやメモリ、ストレージでもどのくらい電力を消費されるか事前にわかります。それらを総じて足した和を計算するのは難しくないので、それより多くの電力を供給できる電源ユニットを使用することで電力不足が起こらないように、自作PCなどでは電力設計をすることができます。
つまりCPUや(グラフィックボードの)GPUのみならず、メモリやストレージ(≒保管庫)も電力を消費します。
妖精たちを主体として考えると「食堂」だと見なしうる電源ユニットですが、もっとメモリやストレージの電力消費も考慮した広い視点からは、会社の「維持費(ランニングコスト)」だと認識することもできます。
またTDPが熱量を示すことは、次の項目である「CPUクーラー」に関する「冷却」という対策にも繋がってきます。
CPUクーラーは空調
CPUクーラーもあまり目立つパーツではありませんが、CPUをサポートする役割として欠かせないものです。
元情報では「水冷式」をピックアップして「無限に残業させることができる無敵アイテム」としています。
これはクーラーなしではCPUは熱暴走を起こし作業ができなくなってしまう点と、水冷は「空冷」よりも効率よくCPUを冷却できるとされる点を考慮したものと考えられます。
このエントリでは、クーラーが「冷却装置」であることをそのまま転用して、空調、とくに「エアコンのクーラー」になぞらえてみましょう。また特に空冷と水冷を区別する必要もないと推測されるので、単にクーラーについて考えていきます。
熱帯地域での労働
ふつう日本人が会社で働く場合、クーラーは使用されることはあるものの、四季があるために夏場にしようされることがほとんどでしょう。
そのため「この会社は熱帯地域に存在する」もしくは「熱帯地域になってしまった日本にある会社」であると設定しましょう。
やや苦しいですが、「間断なく冷やす必要がある」という状況をつくりだすためのものです。
溶解炉で働くようなもの
もしくは溶解炉のように、「会社がある地域の気候」ではなく「業務上どうしても熱が発生してしまう」という状況を加味したものです。
「一般的な会社」を想定すると溶解炉がある会社は限定されてしまいますが、CPUの特性を考慮すると「熱帯地域」よりもこちらのほうが本質的な状況を含んでいます。
CPUが絶え間なく熱を発する
「熱帯地域」と「溶解炉」という状況を仮定しましたが、CPUクーラーが冷却しなくてはいけないのは「CPU」です。単にクーラーと呼ぶだけではなく「CPUクーラー」と呼ばれるのは、CPUを集中的に冷却するからです。
実際クーラーを設置するとき、CPUの金属部分とクーラーの金属部分を設置させ、さらに「グリス」と呼ばれる熱伝導率を上げる不透明の糊状のものを塗布します(多くが灰色をしています)。
なぜクーラーがCPUを冷却するかといえば、CPU自体が発熱するからです。CPUは処理をすると発熱するのです。高速で処理をできる分、高負荷な処理をするときなどは高温になります。
「熱暴走」という用語を少し前に出しましたが、充分に冷却できなかった場合はCPUが発熱に耐えることができず、PCが勝手にシャットダウンされることとなります。
熱暴走を起こすと必ずしもCPUが壊れるということではありませんが、熱暴走が発生したときに故障してしまう危険性はつきまといます。熱暴走はグリスが経年で乾燥してしまったときにも発生する可能性があります。
このように「発熱するCPUを冷却する」というのはとても大事なことなのです。
妖精たちの会社でいえば、「空調をちゃんと効かせるため窓を閉め切る」くらいのことでしょうか。
CPUクーラーとして使用されるのは「空冷」が一般的です。空冷式はファンが回転することで扇風機のように風の流れを生みます。この風で冷却するというより、ヒートシンクと呼ばれる金属部分でCPUから熱を受け取り、それを風で逃がすシステムです。
水冷式では冷却液が使用され、排熱効果が高いとされます。水冷式でも風を発生させるためにファンを使用することがあります。
なおCPUとクーラーの関係性において、「クーラーがあれば難なく処理を続けられる」と考えるか、「クーラーがあるため延々と処理を続けさせられる」と考えるかは、人に依るかと思います。少なくとも「妖精たち自身が発熱する」のを冷却するための装置であることを踏まえ、この妖精たちは人間と違うところがあるのを理解しておかなくてはいけません。
CPUを買うとクーラーが付属ついてくる
正規品のCPUを購入すると、CPUクーラーが付属されることがあります。ジャンク品や中古品、バルク品などのCPUを購入すると付属しないこともあります。高性能なCPUを高負荷で使用するなど、発熱量が大きくなるような使い方をするのでなければ、こうした付属品のクーラーで充分だということも多くあります。
CPU部署のパフォーマンスを考えると特注の空調を導入することも考えていいかもしれませんが、ついてくる空調でも問題ないことが多いのです。
PCケースは社屋
次いでPCケースです。PCケースは各種パーツを収納させ、埃などの汚れからパーツを守る部品です。
まさにPCケースは妖精たちからすると「社屋」にあたるでしょう。PCケースはケーブルやバスと異なるパーツであるため、ケーブルやバスを「廊下」や「エレベーター」のように解釈し、それらを会社のビルから除外して考えると、PCケースは雨風をしのぐビルの天井や壁であると見なすことができます。
自作PCをする人にとって、PCケースは単なる外装であるだけでなく、どの場所にどのパーツを配置するかあらかじめ設定された枠組みのようなものです。プラモデルでいうと設計図やパーツの形状で「どこになにを接続するか」が決められているようなものです。会社としては、ビルの形状によって部署や保管庫をどのように配置するかがいくらか決定されているようなものです。
シャットダウンや再起動は「業務一時停止」
PCは使用しないときにはシャットダウンさせて、無駄に動作せず電力を使用しないように終了させることができます。このシャットダウンに関連する命令として、スリープと再起動が挙げられます。パーツについてではありませんが、PCを利用するときにはよく使うシステムです。
元情報にはこれに関する記述がありませんが、ツイート者への返信にありました(現在は削除されたのか見当たりません。筆者が見たときにはあったと思うのですが……)。
細かく思い出せず憶測で書くのもためらわれるので、それぞれを筆者なりに解釈して、「シャットダウン=休暇」「スリープは『命令があるまでしばし休止』」「再起動は『業務見直しのためすべての作業中断』」であると仮定します。
シャットダウンは休暇
シャットダウンは妖精たちに休暇を与えるようなものです。ただ現実の会社と異なるのは、「定期的に労働者を休ませるため」に休暇をとらせるのではなく、「妖精たちに今労働させるのは不要だとユーザーが判断したから」という点です。妖精たちは我々人間と異なり、休暇をとりたいと考えることがありません。そのためユーザーが不要だと考えたときが休む瞬間なのです。
そのためシャットダウンを基本的にすることなく「常時稼働」させる場合は、妖精たちは不眠不休であるということです。PCをよく使用する人のなかには、常時稼働させる人がいくらかいます。これはユーザーが寝ている場合もシャットダウンせず、仕事に行っている場合も稼働させている状態です。毎日ではなくとも、連休で外出する予定がないときに稼働させ続けることも含まれうるでしょう。
スリープは一時待機
次にスリープです。シャットダウンとの違いは、シャットダウンではすべての作業を終わらせて、次にPCを使用する場合に起動することになるのに対し、スリープは省電力ですべての作業を「中断」するに留めて待機させるモードに入らせることを指します。
スリープさせる利点は、PCのスペックが低く起動に時間がかかる場合は起動ではなく「再開」であるためいくらか再使用までの時間が早くなりうる点と、作業を続きから再開できる点などがあります。
シャットダウンのように「電源を落とす」のではなく「待機状態」であるため、妖精たちからするとシャットダウンが「帰宅」に近いのに対して、スリープは「ユーザーがいつ再開を希望するかわからないため職場で待機」に近いのです。
再起動は「事務的な業務の停止」
そして再起動ですが、これはシャットダウンやスリープと違い「PCを休止させる」ことが目的ではなく、「すべての作業を終わらせて新しく再開する」ことが目的です。
再起動をする理由としては「インストールの反映」「メモリリーク」「不具合の一時的除去」などがあります。
「インストールの反映」は、ある種のソフトウェアをストレージにインストールした際、そのソフトを利用するにはシステムの再起動が必要なことがあり、ソフトを利用できる状態にするため再起動をします。このタイプの再起動はソフトだけでなく、Windows Updateなどを利用する際にも必要となります。
「メモリリーク」は、記憶領域のメモリがPCの使用時間の経過とともに記憶領域が減ってしまうことがあり、その「減り」を解消させるために再起動を行うという対策があります。これをメモリリークと呼びます。メモリが少ない場合PCの動作が重くなってしまうためメモリリークが行われます。
現在はメモリがいくらか安価になったため、メモリリークを必要としないくらいPCに搭載することもできます。
「不具合の一時的除去」は、原因がよくわからない不具合に対して、具体的な対策が判断できない場合に、とりあえずの応急処置として行われる再起動です。対症療法のようなその場しのぎでしかなく、問題の根本的な解決とはなりません。しかしPCを使用する人たちの間ではよく使われる対処法です。
このように再起動をする理由とその挙動を確認すると、「ユーザーにとって気になることがあるため」もしくは「システムの改善や新しい環境を構築するため」という理由のもとに、「すべての作業をいったん停止・終了させてリフレッシュした状態で新しく開始する」という状況だと理解できます。
妖精たちのような労働者の立場からすると、朝礼や危険確認を増やすなど業務改善のための「新しいスケジュールの追加」や、新しいコピー機の設置やある程度の規模の清掃を行うために「一時的業務停止」して環境を整えさせる工程だと見なすことができます。
OS
次はOSです。
有名なものにはWindowsやMac OS、Linuxなどがあります。OSはシステムソフトウェアと呼ばれ、PCを利用する上では最重要のソフトです。
元情報では「言語」とありました。これは全体を見る上でも特に大きな問題点はありません。実際のところWindowsのみを使用している人とMacのみを使用している人とでは話が噛み合わない(≒使っている言語が違う)ことが多々あるでしょう。
ここで注意したいのは、OSが妖精たちの話す「言語」であると理解するのは問題ないのですが、先ほどから出ている「機械語」などとは区別をしなければならないことです。またPCでソフトやゲームを開発するのに使われるもので「プログラミング言語」というものがあります。これも言語とありますが、もちろん「譬えとして用いている『言語』」のことではないので明確に区別しないといけません。
この比喩ではわかりにくい箇所
さて、元情報の比喩になぞらえて、いくつかのパーツを譬えてみました。
正直に告白しますと、これまで紹介してきたパーツはまだ「譬えやすい」部類のパーツたちでした。解説していないパーツのなかには、この譬えではスムーズにいかないものがあるのです。
マザーボード
まずはマザーボードです。
一般的な解釈ではありませんが、このサイトでは何度か「(中枢)神経」のようなものだと述べてきました。その理由は他の様々なパーツはマザーボードを介して間接的に接続し、データを交換しているからです。
これを妖精たちの会社になぞらえると、「部署間の潤滑なコミュニケーション」や「内線電話」、「情報を持ち運びするときの通路やエレベーター」と見立てることができます。しかしこれはマザーボードの「様々なパーツを一手に接続する中枢神経」という特性が含まれていないのです。このような譬えでは規模がやや小さいのです。
縦割り社会とは異なる
「部署間の潤滑なコミュニケーション」という点では、CPU部署やグラフィックボードのアニメ部署はストレージから様々な情報を引き出しますが、これが潤滑でなければ引き出す作業が衝突して停滞してしまいます。
現実の人間の会社、特に日本の会社では、よく縦割り社会と批判されます。部署や管轄などで区分されて余計な縄張り意識などをもつなどで、潤滑なコミュニケーションが行なえなくなることがあります。
縦割り社会の弊害としてよく「たらいまわし」という言葉が使われます。役所などで「あっちの部署へ行ってくれ」「そっちの部署へ行ってくれ」と歩き回らされ、一向に目的が果たせない状況を示します。
こうした状況は、基本的にあまりPCでは発生しません。PCでは各パーツの情報が通る経路(バス)はあらかじめ決定されているからです。
CPUを設置する箇所は、マザーボード上に「CPUソケット」として用意されています。メモリを設置する場所は、マザーボード上に「メモリスロット」として用意されています。グラフィックボードを設置する場所は、マザーボード上の「PCIe(PCI Express)」というスロットとして用意されています(PCIeにはいくつか種類があります)。そしてストレージは、SATAというバスでPC内部に組み込んだり、USBを利用して外部ストレージとして利用したりすることができます。
もし誤って接続して正常にデータが流れない場合、そもそも稼働しないことがあります。CPUやメモリが正常に接続されていなければ、PCは起動しないでしょう。グラフィックボードやストレージが正常に接続されていなければ、PCが起動したとしても認識されないでしょう。
かろうじて「引き出す作業の衝突」のような例があるとすれば、USBを使って外部にストレージをいくつも接続し、許容量以上のデータを交換しようとすると停滞が起きる可能性があります。「USBハブ」など外部のUSBポートを増やす製品を使うなどしていると、停滞が発生しやすくなると考えられます。
ざっくりといってしまえば、「日本の縦割り社会のような不合理はPCに存在しない」もしくは「そんな不合理が存在すればPCは正常に動作しない」と考えてもよいでしょう。妖精たちの会社は日本人の会社より合理的なのです。
バスやケーブル
またマザーボードを「内線電話」や「情報を持ち運びするときの通路やエレベーター」と見立てるとき、これはバスやケーブルの役目と重複してしまいます。PCの場合、ひっきりなしに電話で「あのデータをとってきて」と連絡したり、部署と保管庫を行ったり来たりするため会社の廊下を四六時中あるきまわっているようなものです。しかしこうした電話や廊下は会社の「中枢」だとは言いにくいものです。
妖精たちの会社の譬えからは離れますが、もっと規模を大きく見て「日本」という国まで広げてみたなら、データの送受信は「物流」や「流通」だといえます。そうするとバスやケーブルは「一般道路」や「高速道路」となるかもしれません。そうであるならマザーボードの中枢性というのは「新幹線」や「飛行機」と譬えられるかもしれません。
なおバスとケーブルの違いは、おおまかに「マザーボードなどに設置」されているなどで「取り外しできないもの」がバスで、「パーツとパーツの仲介」となり「取り外しが容易なもの」がケーブルだと見なして問題ないでしょう。
マザーボードの実物は薄く大きい
マザーボードを実際に見たことがある人はいるでしょうか。画像や動画で、ではなく、肉眼で、です。マザーボードは剥き出しの基盤ですので、平べったく厚みはなく、長方形もしくは正方形の板状に大きなパーツです。その基盤に各種パーツを(直接もしくはバスやケーブルを介するなどして)実際に接続していくのです。
この大きさは、PCケース内部のほとんどを占めるくらい大きなものです(もちろん薄いため他のパーツを収納する余地はあります)。
単に「部署間のコミュニケーション」や「電話」ではこのような大きさを示すことはできませんし、「社内の廊下やエレベーター」ではバス・ケーブルとの差が示せないのです。
光学ドライブ
光学ドライブは様々な種類があり、DVDドライブやブルーレイドライブがこれに属します。古いものだとフロッピーやMOディスクのドライブなども含まれます。
このパーツが妖精たちの会社に譬えにくいのは、会社では「外部から情報を取得する」ということを、ひとつの仕組みとしてまとめるのが難しく、また情報にはあまりに種類が多いからです。
光学ドライブから取得できる情報は、個人的なドキュメントや画像ファイルが使用できます。CDやDVD、BDには書き換えが自由に行える製品があり、専用のソフトを使用することでPC内部のデータを書き込むことができます(以前からPCを使う人はこの書き込み作業を「焼く」といいます)。つまり取り外しの容易なストレージとして使用できます。
このように外部から情報を得て、内部の情報を渡すことのできる仕組みは、比喩として「業務提携」などとすることもできるのですが、これだけでは光学ドライブの本質とはいえません。
光学ドライブでは個人的なデータのみならず、市販・レンタルの音楽や映画など様々な種類のデータが使用できます。
単に映画を見られるだけなら妖精たちの世界に譬えて「映画館」などとすることができたかもしれません。しかし音楽や文章など他の情報も扱えるため不適切です。もしそうした多メディアを扱うことができるため「ショッピングモール」のように譬えたとして、それが「妖精たちの働く会社」に併設されているのは合理的ではありません(それに楽しむのは妖精たちではなく、ユーザーの人間です)。
また現在PCで情報を取得するとき、光学ドライブは必須ではありません。インターネットがあるからです。音楽CDや映画のブルーレイを利用する場合は光学ドライブが必要ですが、現代では音楽をiTunesなどでダウンロードしたり、Spotifyなどでストリーミング再生したりすることができます。また映画やアニメをAmazonプライム・ビデオやNetflix、Huluなどで視聴することも容易です。
実際、筆者が使用しているメインPCに光学ドライブは使用していません。必要なときにはUSB接続の外部DVDドライブなどを使用します。
今では必須というわけではない光学ドライブですが、汎用性は実に高いものです。PlayStationシリーズで音楽CDや映画のBDが楽しめるようになっているのも、この汎用性・利便性を重視してのことでしょう。しかしこのように汎用性が高いため、妖精たちの会社になぞらえるのは難しいのです。
I/Oデバイス
I/Oデバイスとは、端的にはマウスやキーボードなどを指します。「I/O」とは「Input/Output」を指し、「入出力」を意味します。
光学ドライブ同様、実に様々な種類があるため、妖精たちの会社になぞらえるのはとても難しいパーツ群です。
マウスやキーボードはユーザーからPCへ情報を伝えるためのパーツであり、これが「入力」を意味します。他にはタッチパネルやペンタブレットなども入力装置として挙げられます。
これに対してPCから情報を出力する装置があり、モニターやプリンター、スピーカーなどが挙げられます。
I/Oデバイスが個別に用意されている理由は、本来PCという機械とユーザーという人間のコミュニケーションが通常は困難なのを、容易にするためでしょう。人間同士のように口頭で説明・伝達できるようであれば、マウスもキーボードも要りません。またSFのように空中に映像を映し出せるのであれば、モニターやプリンターも必要ありません。
もし妖精たちが機械語を使い、我々人間とコミュニケーションが難しいことを考慮するなら、I/Oデバイスはかなりざっくばらんに「翻訳機」と譬えることができます。
この譬え自体はさほど遠くないのですが、マウスもキーボードもスピーカーも一緒くたに翻訳機、というのはやや突飛でしょう。これは初心者の方を突き放したような不親切さが残ります。光学ドライブのときと似て、その多様性を含めるものに譬えるのは非常に困難なのです。
妖精はユーザーのためだけに働く
これまで各種パーツについて、元情報に準じて比喩を広げてきました。
ここで今回の比喩の中心である「妖精」についてまとめて考えてみましょう。
I/Oデバイスで妖精とコミュニケーション
我々PCユーザーが妖精たちとコミュニケーションをとることは、妖精たちが理解する機械語と日本語ないし人間語とが異なるために難しいことは前述しました。そしてI/Oデバイスが妖精たちとコミュニケーションを行うパーツであることも見てきました。
今回PCのなかには妖精たちがいると想定して理解を深めてきましたが、妖精たちと我々のコミュニケーションとは「命令」でしかありません。知り合いや友人と交わすような楽しい会話ではありません。「あれをしろ」「これをしろ」と「あれをします」「これをします」の繰り返しに他なりません。
間違いなくブラック企業
元情報のツイートには返信として「ブラック企業だ」といったようなものが散見されますが、その考え方に間違いはありません。我々ユーザーは妖精たちを酷使していますし、これからも酷使するでしょう。そもそもマルチスレッディングのようにコアは1つなのに仮想的にスレッドを増やそうというシステム自体が「なるべく休ませることなく使役しよう」という考えの元に設計されています
そのためブラックであるかどうかを問うのであれば、疑う余地はありません。
もちろんメンテナンスなどで故障しないように掃除し、調子を確認したりすることはあるでしょう。しかし「シャットダウン状態で休ませ続ける」のはPCを使用する上での主目的ではありません。電源を落とすのが「使用しない時間だから休ませておく」というものであるとしても、それは「電気代を節約するため」などの人間の都合でしかないでしょう。
たとえ妖精に譬えるなどして親近感が湧くとしても、本質的には「使役」でしかないのです。
妖精たちは「労働」が存在意義
PCとはユーザーたる人間の道具です。現在までのところ、機械とは基本的に人間のための道具にすぎません。AIBOや人工知能なども人間のために役立つよう設計されています。
そして機械側からすると、設計通り「人間のために活動すること」が存在意義なのです。
購入したAIBOが人間に見向きもせず逃げてしまうような機械だったなら誰が買うでしょうか。人工知能が設計に背いて勝手な計算を始めるようであれば、誰が開発しようとするでしょうか。PCが勝手に動いて思う通りに動作しないなら、誰が使うでしょうか。妖精たちが勝手に判断しCPUが人間にとって「誤作動」を起こすようなら、誰も使用しません。
人間であれば働く重要性は、単なる「生活費稼ぎ」以外にも「生き甲斐」や「自己表現」として存在します(今の日本でそれがどれくらい実現されているかは知りませんが)。それはQOL(人生の質)という言葉にもあるように、労働がすべてではなく一生を幸福に過ごすことが目的であるともいえます。
しかし妖精たちにそんなものは存在しません。ただ計算し処理するだけです。
ユーザーが使役し、PCが使用され、命令通りに恙なく動作することですべてが丸く収まっているのです。今までのところこのシステムで問題はないのです。
もし気になるようであれば、いくらかPCを休ませることはできるでしょう。それこそ「ブラック」であることに(我々人間が)引け目を感じない程度に収めることはできるかもしれません。しかし本質的にユーザーが使役する側で、PCは使役される側である、ということに変化はありません。
妖精は監禁され続けている
妖精たちはCPUのコアであり、交換するときはCPUごと替えるものだというのは確認しました。
CPUのコアは取り外しできないため、この譬えでは妖精たちは監禁されているようなものです。そして交換するときはCPUという部署ごと替えるため、CPUをマザーボードから取り外した後もコアはCPUから抜け出せません。つまりずっと監禁され続けているということになります。
この点をCPUの交換や廃棄を交えて考えると、我々ユーザーがPCを使おうと使うまいと、また買おうと買うまいと、CPUは設計の段階で監禁されているため、分解してボロボロにして使えなくするまで監禁状態は続くのです。そしてボロボロにしたとして、それはCPUの破壊に過ぎません。
妖精≠人間
CPUの存在意義はPC全体と同じく「人間に使役される」ということです。マザーボードから取り外してタンスの肥やしになっているCPUは、引きこもっているニートと同等かそれより価値が低いものです。その存在を思い出すことすらほとんどありません。
「監禁されている」という譬えは、直感的には酷いものに感じられるでしょう。しかし現在までのところ、CPUが「つらい」と感じているのが確認されたことはありません(この点を追究することは自我や「クォリア」など哲学的な内容になるので避けます)。
今回の譬えはCPUコアを妖精になぞらえることで親近感を得られることが利点でしたが、このように「ブラックだ」「監禁はよくない」と考えたところで無意味ではあります。むしろそのように「かわいそう」と考えてしまうところが、この譬えの欠点であるといえます。
改めて「この妖精たちと我々人間は別の存在である」ことに深く留意しておかなければならないでしょう。
疲労を感じない
PCは疲労を感じません。
PCを常時稼働させる人がいることは前述しましたが、常時稼働のデメリットは常に電力を消費することと、メモリリークが必要になってくる点などです。そのデメリットに「CPUが疲れるから」というような理由は基本的に含まれません。
PCとは稼働形態が異なりますが、サーバーと呼ばれるマシンがあります。サーバーはインターネットなどで常用される機械です。YouTubeやニコニコ動画などの動画サービスでもサーバーが使用されています。
このサーバーの基本設計も「常時稼働」であることがあります。メンテナンスなど以外では常に動いている状態なのです。
これは我々が機械を酷使させることに慣れているというより、機械は疲労しないという考え方のほうが適切でしょう。
もちろん「PC疲労を感じない」というのは我々が、また筆者が勝手に言っているだけです。実際には感じているかもしれません。しかし人間にはそれは結局のところわからず、使用目的に沿ってPCを利用するか、PCの存在意義に逆らって使用をやめるか、しかありません。
しかしこれを別の観点で述べるなら、「PCがなにかを感じる」というのも幻想でしかありません。確認のしようがない話で、答えが出ないのです。
死ぬまで働く
PCの存在意義は人間に使われることであると述べました。これは裏返せば、死ぬまで働かされるということです(効果的であればそうするのが人間の常だからです)。
たとえば所持しているHDDを使わなくなる瞬間とはどんなときでしょうか? 故障や古くて容量が少なく使い勝手が悪くなったときなどでしょうか。基本的には「使えなくなった」という状況でしょう。断じて「酷使するのがかわいそう」という理由ではありません。
そして使わなくなったそのHDDはどうなるでしょうか? 容量が少なく使い勝手が悪い、ということでしたら、いつか使うかもしれないと保管しておくのもいいでしょう(自作PCを続けるとこのようなタンスの肥やしが増えます)。それでは故障して復旧の見込みがないHDDはどうするでしょう? もちろん廃棄です。
機械の故障は正常に動作しないという点で、人間でいうなら病気やケガでしょう。程度は状況に依りますが、「仕事ができなくなるくらい」というのは一致します。
しかし就労に復帰する見込みがなくなるくらい重傷を負った人がいたとして、「廃棄」のような行為をそうした人に適用できるはずがありません。延命処置を行うでしょう。
現代社会では、その延命に関する問題もあります。いわゆる「安楽死」のようなものです。しかし安楽死と「PCパーツの廃棄」は次元が違います。
PCパーツは、人にも依りますが、不具合が出てもなるべく修理してどうしようもなくなるまで使い続ける人と、ある程度の不具合が出ると諦めて新しい製品に手を伸ばす人などがいるでしょう。いたとして最終的には「廃棄」しなければ不要なパーツに占領されるだけなのです。
全体的に人間は「働ける・働けないにかかわらず、延命処置はなるべく施される」という傾向にありますが、パーツに関しては「代替が容易に見つけられる」ため、1つの製品を使い続けることに拘泥する人はそう多くないでしょう。
食べ続ける
電源ユニットの項目でも述べましたが、機械の補給する電気エネルギーは人間の食べ物と違って消化を必要とせず、湯水のようにがぶがぶと消費します。そのためTDPの高い製品を使用すると、稼働させている間ずっと電力を消費します(かつ高負荷になると消費電力も増えます)。
CPUのコアを妖精と見なすと、妖精は完全に固定されているため「監禁されている」とも「イスに固定させられている」状態とも考えることができます。こう考えるとかなり非人道的な労働使役のしかたになりますが、「イスに体を固定させ点滴で栄養補給させ延々と働かせ続ける」というような状態が、妖精たちの労働環境の「普通」であるといえます。
耐熱能力が高い
またCPUクーラーの項目で述べたことですが、CPUなどの精密機械は処理をする間、常に発熱します。クーラーはそれを冷却するために必要なのであり、それを妖精たちの会社に譬えると「熱帯地域」や「溶解炉」という労働環境に近いと説明しました。
実質的にはCPU自体が発熱するため、これを人間に譬えると移動・動作などの筋肉を動かす所作での発熱が常に(通常より)大きい状態のようなものでしょうか。もしくは「発汗」がまったくない状態ともいえます。
人間は体温が42℃以上になると死ぬといわれています(参考:Panasonic)。それに比べると、CPUは80℃を超えても動作しますし、真冬の寒さで放置していても電源を入れれば稼働するくらい「人間より寒暖に強い」存在だといえます。
セミは幼虫の期間が長く成虫になってからは1週間しか命がもたないとされ、儚い命の代名詞とされることがありますが、人によっては「成虫になったとたん四六時中あれだけ鳴き通していたら死ぬ」「うるさい自殺」と見なす人がいます。それと同様に「汗をかかなければいくら高熱に耐えられても体調を崩して当然」「汗をかけないかわりに冷やしてあげている」と見なすこともできるかもしれません。
つまり人間より寒暖には強いのですが、ふつうに活動(計算・処理)しようとするとまともに自分を制御できず、他人(ユーザー)の力を借りて冷却してもらわなければ、ほとんどなにもできない存在、ともいえます。
処理能力は高いが目的意識がない
機械は命令に従って処理を行い、そして勝手な判断をしません。これは決定権をすべて人間がもっていることを示しています。機械がどう感じ考えているかは別として、人間が命令しなければ機械はただの鉄の塊としてじっとしているだけです。
逆にもし「1+1」を計算させ、その答えにさらに「+1」をする計算を繰り返させるという目的を与えたなら、人間が止めるか故障するまで、1億を超えても1兆を超えても1京を超えても延々と計算し続けるでしょう。
機械にはこのように「実行する」また「停止する」を判断することすらありません。すべて人間次第です。それくらい目的意識がないのです(そもそも「意識」が確認されていませんが)。
道具は使うものによってよくも悪くもなるので、結局は人間次第なのです。
外部と内部の隔たり
今回の譬えでは、CPUコアが擬人化されていることからPCを会社に見立てました。この譬えを全体化する上で難しかったのは、「外」と「内」の区分でした。比喩がしにくかったパーツの解説にあった「光学ドライブ」や「I/Oデバイス」では汎用性・多様性があるのと、この内外の隔たりが区別しにくかったため会社に譬えるのが難しかったのでした。
初心者の方向けの方法ではまったくないのですが、自作PCを趣味とする方のなかには、「PCケースを使わない」もしくは「オープン型」「開放型」と呼ばれる一部しか枠組みがないケースを使用する方がいます。埃などによる故障の可能性があるというデメリットは当然なのですが、見た目の楽しさなどのメリットのために試みる人がいるのです。
こうした形式を勧めたいということではなく、そのような「PCケースが不要だといえる」という考え方があると認識してみると、PCの内外の隔たりを「なくす」ことができるのだとわかります。なくすことができるくらいPCは内外の隔たりが曖昧なのです。
データを交換するだけで移動はない
PCを妖精たちの会社に譬える上で、「擬人化されたCPUコアは決して移動をしない」というのは「擬人化」する上で非常に不自然なものでした。CPUは部署であると譬えましたが、この妖精たちは生涯この部署から離れることはありません。CPUが交換されるときも、その部署と一緒に交換され、ときには廃棄されるのです。
このように擬人化する譬えであればこそ、「生存意欲」にすら欠ける譬えになるのは、親近感を湧かせる手法としてはかなり違和感の強いものです。
人間のなかにも「仕事に殉ずる」という精神をもつ人たちはいます。しかしそれとも異なるのは、「指示待ち族」であるために職に殉ずるような意識も垣間見えない点です。
また運搬係としての人員がいるために、CPUコアである妖精たちは部署から動くことなく遠くの保管庫から情報を得ることができます。保管庫から取り出すときも保管庫へ保存するときも、部署から離れる必要はありません。人間からすると部屋から出てこない引きこもり・オタクのようにすら感じられますし、他人を使役して自分はその場から離れないというのは横着に見えることもあるでしょう。
しかしこれは効率化としては有効な手段でしょう。計算が得意な人は計算をしてもらっておいて、それをサポートする人員はサポートに専念するので、無駄がありません。
会社は内外の違いがあって当然
ふつう会社といえば、社内の人員と社外の方々との区別はあって当然です。就職活動みたいですが、「御社」「貴社「弊社」「当社」などを「自分たちの会社」と「相手の会社」と意味を区別していない人は、いつか手痛いミスをすることになるでしょう。
敬語の使い方も、少なくとも基本的な丁寧語・尊敬語・謙譲語を使い分けていられなければ、お得意先の方に失礼な態度をとるなどしかねず、これもミスに繋がるおそれが大きいものです。
その点、妖精たちはそんなものまったく気にしません。ユーザーである人間とコミュニケーションがとりにくいこともありますが、なにより妖精たちはただ自分の作業を果たすのみで、人間の機嫌をとることなどありません。
いわば妖精たちはただ「実行する」だけなのです。そのためメンテナンスや様子見などもユーザーたる人間のすべきことで、妖精たちは自身のことすら範疇外なのかもしれません。
人間にはウチとソトの感覚がある
人間には、特に日本の研究では日本人には『「ウチ」と「ソト」』を区別する感覚があるといいます。ウチとは「内」のことであり、自分に近しいもの、家族や親戚、友人や恋人などを含みます。そしてソトは「外」のことであり、他人などの深く関わりのない存在のことを指します。
これは「自分の会社」と「相手の会社」を区分することにも表れています。それが「弊社」「貴社」などの敬語にも表出していることは述べました。
このウチとソトは「どれだけ自分に近いか」を示すとともに、「どう接するか」という態度にも影響を与えます。
しかしこれを妖精たちに当てはめてみると、そもそも妖精は生涯CPU(ならびにプロセッサ)から外に出ることはないのでした。つまりウチとソトの区別がないのです。
これは場合によっては妖精たちが「引きこもり」のような概念を理解しえないことを示しています。そもそも妖精たちは外に出ない引きこもり同然の生活ですし、CPU内の「ウチ」しか知らないからです。
そう考えると、引きこもりが「外に出たい」という欲求がわずかながらでもあると考えられるにしても、妖精たちはそんなことを「想定すらしない」のかもしれません。
この比喩のメリットとデメリット
それではこのエントリの締めくくりとして、総合的に今回の譬えのメリットとデメリットをまとめてみましょう。
その前に、あらかじめ冒頭で述べておきましたが、このメリット・デメリットの総括も批判や非難の意図はないことを明言しておきます。この総括はこの比喩をご覧になった方に、より前向きに「PCってなに?」という疑問を解消しやすく認識できるよう、留意すべき点を建設的にまとめておくことが目的です。
どの比喩にも限界はある
比喩というのは、あるものを別のものになぞらえることで、類似点や相違点を見えやすくする修辞技法です。修辞技法はレトリックとも呼ばれ、表現において非論理的な方法や不明瞭な方法をとることで、様々な効果を演出できるテクニックです。
どんなテクニックにも限界があるもので、言葉による修辞技法にも限界はもちろんあります。
比喩においては、今回すでにまとめてあるように「譬えやすい部分」と「譬えにくい部分」があります。つまり「すべてをキレイに譬えられないことが多い」ということです。どんなに上手な譬えでも限界があり、もしそうした部分が見えないなら、単に「キレイに譬えられないところは隠されている」というだけのことです。
このことは前回の比喩のときにも述べましたが、比喩という技法が完全ではないというのを知っておくことは大事です。今回の比喩でも、「よりよくPCを理解する」ためにどの点がよく、どの点がよくなかったのか踏まえておきましょう。
メリット
まずはメリットについてまとめましょう。
親近感が湧きやすい
今回の比喩は、CPUコアを擬人化したことで親近感が湧きやすく、そのため直感的に理解しやすいのが大きなメリットでした。
実際にはPCは機械ですので、当然ながら妖精などいませんし、元情報にあった「おっさん」というのも架空の存在です。
無機物を擬人化するというのは昔からある方法ですが、特に最近の日本では顕著でしょう。ブラウザゲームの「艦隊これくしょん」をはじめとして、ソーシャルゲーム(またはそれに類するゲーム)において、刀や城、銃などが擬人化されています。
ただしこれらのゲームと今回の擬人化の比喩の違いは、ゲームでは「擬人化されたキャラクターを集めて育てる」という点にあるのに対し、今回のは単に「理解を深める」ためということです。
擬人化は理解しやすい
我々は人間です。この点は揺るがしがたい事実です。そのため『「人間」に属しないもの』を擬人化することは、その「もの」自体を理解するのに役立ちます。これは人間から遠いものほど、おそらく擬人化という手法は効果的になるでしょう。今回は機械を擬人化しましたが、これが「イヌ」だったら擬人化して「理解を深める」必要がありません。
鳥や魚、昆虫を擬人化するのも、「動物」ひいてはという点で共通点があり、「そもそも擬人化して理解する必要がない」くらいには我々はそうした生物を理解しています。この抽象度であれば、植物でも「生物」として同じであり、「擬人化して理解する」という目的での擬人化は必要ありません。(もちろん擬人化することでなお深く理解できることもあり、それを否定するものではありません。わざわざ人間から近いものを擬人化するのは、「理解する」という目的上では遠いもののほうが効果的であるということです)
デメリット
擬人化のメリットについては以上です。次はデメリットについてまとめてみましょう。
メリットは「擬人化したこと」が好転しましたが、デメリットは「擬人化したこと」で悪化した部分があったことです。
擬人化のため人間と比較しないといけない
これまで通して見てきたように、PCは人間ではありません。これは「PCを理解する」という目的以前のもので、「人間とネコは哺乳類だ」「人間とトカゲは脊椎動物だ」「人間とタンポポは生物だ」といった類似点の”ない”比較であり、人間とPC(機械)は非常に類似性の低い存在です。
それを擬人化するというのは比喩としてわかりやすく優秀なのですが、それが優秀であればあるほど「どうして類似点があるのに、こんなにも違うのか」という「違い」に違和感をいだいてしまいがちなのです。
我々はネコに対して「どうして人間とネコはこうも違うのか」とあまり感じません。これはイヌに対しても、ハムスターに対しても、ハトに対しても同様です。
しかし昆虫などに対して「どうしてこんな体が節だらけで硬い外殻なんだろう」と感じたことはないでしょうか? 道端の花などに対して「動くこともできなくて不憫だなあ」などと感じてしまったことはないでしょうか? これは我々が人間であり、人間という存在を主体にして考えてしまうことの表れです。
物事を真に理解するということは、「それをそれそのものとして受け入れる」ことではないでしょうか。理屈をこねくりまわすことなく、ただそれとして受け入れる。比喩を試みるということは、それができていない状況なのでしょう。
結局「機械≠人間」
SFには機械の生命体が登場することが少なくありません。有名なところではターミネーターや、アイザック・アシモフの作品などに代表されるものなどがあります。もちろん「生命体」の定義によって認識は変わりますが、その話はここでの主旨ではないので省略しましょう。
そうした機械生命体に対して「どうしてお前は俺たち(人間)と違うんだ」と聞いてみる、というのは非常に滑稽です。それは友達に対して「どうしてお前は俺と違うんだ」と聞くようなものです。馬鹿らしい質問ですし、違うものはただ「違う」のですから答えようがありません。
家族や恋人、結婚相手のような人に対して「どうしてお前は俺と違うんだ」と聞くのは、理解のない態度の表れです。違いを受け入れて「相手を無理に変えようとしない」ことが許容としてのひとつの態度だからです。こうした不寛容さは理解のないことを示唆しています。
これはひとつのジョークですが、付き合っていた女性に「あなたは変わった」と男性が言われたとき、(一部の人がですが)「俺が変わったんじゃなくて、お前が俺をちゃんと理解してなかっただけだ」と感じる人がいるようです。
しかし違いを受け入れないのと同様に、「PCを擬人化する」という手法は、それが親近感を湧かせる有効な手法であるだけに、本質的な「あるがまま受け入れる」という姿勢をはじめから成立させにくくしているのです。これはこのサイトの別エントリである「PCっていったいなに? 人体に譬えてみよう!」でも同様の限界があり、なにもこの比喩においてのみ起こるものではないことを明言しておきましょう。
人間の尺度で考えない
「自分勝手」といわれる人がいます。「自己中心的」といわれる人がいます。こうした人の特徴は、「自分を中心に物事を考え、それが当たり前だと思う」というところにあります。
これを「個人」レベルから「人類」レベルに広げると、人類が『「人間勝手」な動物』、『「人類中心的」な生物』かもしれないと考えることができます。
人類は様々な過程を経て、現代まで連綿と種族を繁栄させ続けてきています。そのなかで、いろいろな動物を人間の手で絶滅させてきました。これはまさに「人間勝手」な行いの顕著な例でしょう。狩りやすいから狩り尽くす、高級製品の材料になるから狩り尽くす、そういった所業は人間である我々から見ても心地いいものではありません。
根本的には、我々は人間であるため人間として物事を見ることをやめることはできません。しかし「人間以外の視点から物事を見よう」と試みることはできるでしょう。もちろんその試みに限界があるとしても、です。その点を否定するならば、同様の論理で自己中心的な人を批判することはできなくなります。限界があるとしても、相互理解を試みることは大事でしょう。
そうした点を踏まえると、機械という存在を理解しようとするときも、人間の視点「のみ」で考えるのは独善的です。今回のエントリで気をつけておいたほうがいいのは、「PCは酷使されてかわいそうだ」と人間の視点から考えることです(特にブラック企業という考え方が一般的になった現代日本に住む人間の視点からのみ考えることです)。
筆者にとってもあまりこの点を深く突き詰めることが難しいのは、「PCは酷使されてかわいそう」ということを(機械がなにを感じているかわからないため)完全に批判することはできず、だからといってその論点を進めることは「PCパーツを製造してる企業は非人道的だ」という観点になってしまい、「だとしたらこれ以上PCパーツを製造させるのはよくないのでは?」と過激(かつ一般的には荒唐無稽)な考えに到達しかねないからです。
PCならびに機械が発達すれば、動物愛護団体のように機械の人権(機械は人ではないので機械権とでも呼ぶべきでしょうか)を守るべきだ、機械を保護すべきだと主張する団体が出てくることもあるかもしれません。少なくともそういう存在が現れるかもしれないというのは、人間の頭のなかで考えることは難しくありません(ゲーム「Fallout」の世界など、創作物の世界でそういった団体が考察されています)。
この点は何度でも強調しておきたいのですが、やはり機械と人間は異なる存在です。この点は「あの人は私と違う」といったような考え方と同じです。この点を深く認識しておかないと、「私はあの人のためにしてあげたのに感謝しない。私が思っていたような人物ではなく、浅薄なヤツだ」と(自己中心的に)判断しかねません。
PCはユーザーに感謝しませんし、感謝したとして表明することなどできず、ユーザーがそれを知る機会はありません。
そのためしっかりと理解したいのならば、こうした比喩は「理解のきっかけ」程度に留めておいて、あまり長く引きずらないようにしましょう。
まとめ
- PCは、妖精たちにとって「会社」である。
- 人間と妖精は、基本的にスムーズなコミュニケーションをとれない。
- CPUは実務処理の「部署」である。
- CPUのコア≒妖精。
- 妖精たちはCPUという部署から一生外に出ない。
- メモリやストレージなどの記憶装置は「保管庫」である。
- 妖精たち(CPUコア)がアクセスしやすいかどうかで分類される。
- グラフィックボードは「アニメ子会社」。
- GPUにも妖精たちがいる。
- 電源ユニットは「食堂」。
- 妖精たちは常にエネルギーを摂取している。
- CPUクーラーは「空調」。
- PCケースは「社屋」。
- 妖精たちの会社は、間違いなくブラック企業である。
- 比喩には限界がある。
- 譬えにくいものもある……。
- 比喩であるため当然ながら、「妖精≠人間」である。
さいごに
今回のエントリは、Twitterでのとある投稿がきっかけでした。こうした比喩を見ていく、考えていくというのは、筆者自身ある程度「わかっている」と思っているPCのことでも、意外な点に気づける点がとてもおもしろいものです。
前回のPCを人体(≠擬人化)に譬えるエントリでは、PCの多くのパーツが「脳」であることがわかりました。そして今回の擬人化の比喩では、設計の段階からPCという存在は酷使されることを前提につくられており、実際そのとおりに酷使されているのでした(注意深く述べるなら、「そのように我々人間には感じられる」ということです)。
このエントリでは述べませんでしたが、さらにCPUを酷使する方法としてオーバークロック、ターボブーストなどがあります。こうした機能は必須ではなく、使いたくないなら使わなくて構わないものです。
わかったようにまとめるなら、「人間はひどいことを考えられるものだ」というところでしょうか。
今回は他の人が考えた比喩を広げるという形になりましたが、その広げ方が下手で伝わりにくくなる、といったようなことがなく、なるべくならいろいろな人の理解を深める手助けになれれば、ありがたいと思います。