「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」は優秀な罵倒語か?

雑記

こんにちは、Caffeineです。
ときおりネットで話題になっているニュースを確認しているのですが、今朝はこんな出来事が取り上げられていました。

気になるのは、やはり渦中の人が発した罵倒の言葉についてでしょう。Togetter内のコメントなどでも、やはりその言葉に対する反応がいくつもあります。

今回のこの件は、個人的に「インターネット上のミーム(ネタにされる言葉など)」について考えるきっかけとなりました。端的には、「インターネット上ではミームが残ったとしても、その出来事での議論の内容などが保存されるわけではない」といったことです。

あらかじめ結論のひとつとして述べておいたほうがいいことがあるとするなら、今回のこの件に対して「参加する価値は大してない」ということでしょう。このエントリではこの件に関して多く言及していますので、この件に対して興味がない方には、このエントリを読む意味も大してありません。

インターネットは議論に向かない

まずはおおまかな物事の性質について確認しておきましょう。

  1. インターネットは議論の場に向かない。
  2. Twitterは議論の場に向かない。
  3. Togetterは議論の場に向かない。

インターネット上で冷静な意見を発信するのは、意外と難しいことです。特に出来事の渦中にあるとすれば、なお難しくなるでしょう。そして渦中にいないとしても、ふざけたり焚きつけたり腐したりする言動を排除するのはなにかと難しいものです。
そうした考えを踏まえて言動をとるのすら難しいのに、まったくそうした考えに気を向けずに多くの人がいろいろと言及するなどすれば、混然としてしまうのはしかたありません。Twitterはサービスを開始して10年以上経ちますが、この間で「Twitterが議論の場として成熟した」というような成長があったわけでもなく、単に使用人口が増えてインターネット上のインフラとしての地位を固くしただけにすぎないでしょう。その場合はメディアとして「拡散力」とでもいうべき能力が増えたということであり、拡散される情報の確実性が担保されているわけではありません。

怒ってる人には近づかない

次に渦中にある人たちの性質についても確認しておきましょう。

  1. 渦中の人が罵倒など怒りを示している場合は、当人たちに近づくのはよくない。
  2. 怒りは伝染する。
  3. また怒りにあてられることもある。
  4. 怒りが蔓延すると議論を破綻させやすい。

怒ったことのない人など、そうそういないでしょう。そうとなれば怒りがいかに人を狂わせるか、という事実についてはほとんどの人が知っていることになります。
やはり怒りの悪い面といえば、「本旨・目的を容易に忘れさせる」という点であり、「理性的な判断を曇らせたまま怒りのままに突っ走ってしまう」という点にあるでしょう。
議論を深めたいのであれば、冷静に自分の主張を語り聞き入れてもらい、また他者の主張を語ってもらい聞き入れる必要があります。しかし冷静と怒りはかなり共存しにくい感情です。「笑いながら怒る人」のネタでもありませんが、怒りをしっかり抑えて冷静さを保ち本旨をまっとうするというのは難しいものです。
特にインターネット上、Twitter上などでは赤の他人でもちょっとした言及をするだけで飛び火してくることも珍しくありません。今回の渦中の人の性格をくわしくは存じませんが、ネット上の諍い全般を踏まえるとやはり飛び火してくる可能性を否定するのは難しいでしょう。

世のなかの出来事について、共感するのは大事なことです。しかしそうした出来事のなかの怒りにあてられて、自分も怒りにあてられてしまうのはよくありませんし、共感した怒りのままに暴言を吐くのはむしろ物事を悪化させかねません。そのように怒りが蔓延してしまえば、もともとの議論は破綻してしまい、人々は議論のことなど忘れて「いろんな人が怒ってる」という事実にだけ目を向けてしまうことでしょう。

早まった客観化?

次にタイトルにもある罵倒の言葉について、「インターネットミームとして優秀」と見なす発言がいくつか散見されました。
私はこれに納得するとともに、違和感もおぼえました。

このような、なにか起こった出来事に対して距離をとるスタンスは大事です。その場合に、「ふむ、興味深い」と呟くような姿勢には、どうも賛同しにくいのです。

たとえば「第四の壁」という考え方・概念があります(参考:第四の壁 – Wikipedia)。これは多くの作品で用いられ、舞台・ドラマ・マンガ・アニメ・ゲームなど色々なメディアで使用されてきています。細かい説明は省きますが、第四の壁とは「作品の登場人物と閲覧者・鑑賞者の間にある壁」を指します。
この「第四の壁」は、壊されるときに強く意識されます。端的にいうと、作品中のキャラクタがこちら(作品を鑑賞している私たち)に向けて「きみもそう思うよね?」というように語りかけてくるような表現を、「第四の壁を壊す」といいます。作品中のキャラクタが私たちに語りかけてくるはずはありませんので、第四の壁を壊す手法はとても印象に残るのです。

今回のような出来事に対して「ふむ、興味深い」と一種達観してみせるというのは、この第四の壁の外にいる人物がとるような言動です。これに対して劇中のキャラクタが「ふむ、興味深い」といっていても問題を解決できなければ意味がありません。いくら碇ゲンドウが落ち着いて見えても、使途を倒せなければただの無能です。ましてや戦いに巻き込まれて死んでは、ハッキリいって大した価値はありません。

今回の出来事に対し、「この罵倒語はミームとして優秀」と語るスタンスは、どうもそうした第四の壁の内側にいるのに外側に立っているような勘違いをしているのではないか、と感じられてしまうのです。
あらかじめ明言しておくと、おそらくこれは時間的にも空間的にも隔たりが少ないために生じています。つまりつい今朝方にとりあげられた出来事、それも日本のインターネット上という「私たちが『自分が所属している』と感じられる範囲内」で起こった出来事に対して、現在の日本人は誰しも第四の壁の外に出ることはできません。もちろん私も、です。そしてこれを読んでいるあなたも、です。東日本大震災が「あの頃は……」と語られるのには時間が必要だったように(そのように語られるのがいいか悪いかは別として)、自分の半生を振り返って「あの出来事がターニングポイントだったな……」と振り返るのにも時間が必要であるように、時間の隔たりはひとつの「主観を客観に変えやすくする基準」として成立しうるものです。そして遠い地で起きた出来事は、たとえ今現在発生しているものでもいくらか冷静に見つめることができるように、空間的な隔たりも「主観を客観に変えやすくする基準」として成立しえます。これを踏まえると、今回の出来事に関して、日本国内の誰も「蚊帳の外」ではないのです。
こうした考え方が正しいとすれば、「ふむ、興味深い」というスタンス、すなわち「この罵倒はミームとして優秀」と発言するスタンスは、やや急いでしまった客観視、つまり「早まった客観化」といえるのではないでしょうか?

ミームとして優秀?

しかし、とはいえ、私もこの罵倒の言葉がミームとして優秀かもしれない、というのには賛同します。

どうやらたしかに優秀

「クッキーでも焼いて」という前部と「フリマで売ってろ」という後部のリズムがキレイだからです(細かくは「クッキーでも焼いて」の「でも」が少し邪魔ですが)。またリズムが、というだけですので発言の内容自体については問うていません。そして「クッキー」はクッキークリッカーというIDLE系ゲームのはしりが広く認知されているため、ミームとしての前例・実績があり新しいミームとして成立しやすい要素だともいえるでしょう(「クッキー」には他にも前例はありますが)。またネットでは野放図な発言や過激な物言いが好まれることがあるため、罵倒の言葉がミームとして残ることに関してもまったく問題はありません。

ミームが善とはいえない

ただしもちろん、これは「インターネットミーム」としての性質を踏まえて、この罵倒の言葉がそれになりうるかを判断したときに、ミームになる可能性が充分にある優秀なものだということです。言語表現全体を通して優秀だということではありません。
世間一般の常識から判断すれば、罵倒語というだけで言語表現としての価値はずいぶん下がります。そうしたものは荒くても玉石混交としておもしろいならと受け入れられる人たちにのみ、受け入れられるものだと考えるのが筋ではないでしょうか。

そもそもインターネットでは出来事をミーム化するのを、文化として保存する手段のひとつとしてきている感はあります。ミーム化する際に、その渦中にあった出来事の真偽や主張の善悪、またそのとき飛び交った情報確実性を担保する能力を、基本的にミームは持ち合わせていません。
これはインターネットミームがそうであるというより、共通認識として成立した考え方に広く適用されるものでしょう。たとえば「聖徳太子」のように、いろいろな情報から確固たる事実として担保されていたはずの存在が、別の視点からは「いなかった」と反論されることがあります。歴史的な情報は、新しい発見があると更新され、それまで確実だと考えられていたことがひっくりかえされることがあります。これはどちらが正しいかというより、情報の確実性にはゆらぎがあると捉えたほうが容易なのかもしれません。

またインターネット上の人々は、物事の善悪などよりも「おもしろさ」に飛びつきやすい傾向もあります。これも「インターネット上の~」などと私も述べてはいますが、私自身がそのなかに含まれていることは明言せざるをえません。そしてこうしたおもしろさに飛びつきやすい傾向は、インターネットが議論の場に向かない原因のひとつとしても挙げられます。

私たちはインターネットミームを、いえ、ネット上の「ネタ」を使う際は、気をつけなければなりません。そもそもそうしたネタは、様々な問題を内包しているからこそおもしろいものです。しかしおもしろいからといって気軽に使ってしまうと、やはり誰かを傷つけることになりかねません。ミームというのは、非常に手軽なものです。共通言語としても優秀で、そのミームを知っているか否かでその人がどのような属性の人で、どれくらいその分野に深く造詣があるかを判断する基準にもなりえます。しかしその手軽さのために、誰かを傷つけたとしても気づきにくくなっている可能性があります。また場合によっては、傷つけることに気づいていたとしても、手軽さとおもしろさを捨てられずにいる人たちもいるのかもしれません。

からかうだけなら無視していい

そもそも今回の件は、「議論の内容が興味深い」ということより「Twitterでのいさかいがまたひとつ始まった」と「口汚く罵っている人がいる」と、一部の「もっと燃やせ」が要旨であるのかもしれません。その場合はやはり、この出来事は基本的に無視していていいものだといえるでしょう。

インターネットでは、すでに閲覧者が発信者となり、いつのまにか責任を背負う一員となっているの。そのため「発言」はもとより「閲覧」という行為自体が参加をしたという事実となり、火に油を注ぐ一端となりうる。鎮火がいつも最適解とは限らないが、出来事が実際にインターネット上でミーム化するか否かは別として、それを客観視・静観する視点はいくらか必要。

そうはいっても、やはりまだ私も「第四の壁」の内側にいることでしょう。この第四の壁から脱出する能力が高い人は、もしかすると強く客観視できているのかもしれません。もしくは別のメディアが擡頭し、インターネットという文化が廃れるまで我々はこの種の第四の壁を破壊することはできないのかもしれません。

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図部野 素人

おい、えらく
マジメな話してんな?

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初 心

おかげで
口をはさみそびれたよ。

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Caffeine

いいんですよ?
いつも茶化さないといけない
わけではないので。

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図部野 素人

いや、でも

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初 心

それだと
わたしたちの存在意義が……

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