この記事は2020/07/26に加筆・修正しました。
こんにちは、Caffeineです。
今回は「ママにあいたい」のネタバレありの感想です!
前回のエントリではなるべく客観的に述べるようにしましたが、今回はネタバレを交えて主観的な感想を述べていきます。まだエンディングを見ていない方はご注意ください!
世界観
「ママにあいたい」の特徴は、まず独特な世界観が挙げられます。
「子宮」という設定
このゲームの舞台設定は、おそらく「子宮」でしょう。
主人公たちは「受精卵」と呼ばれています。そして会話できるNPCとして「外から来たタネ」が存在し、そのタネの形状から「タネ=精子」ということがすぐにわかります。またママの声を何度も聞くと、妊娠と堕胎を繰り返していたことも理解できます。
受精卵
舞台が子宮であると確認するときに大事なのは、受精卵の存在でしょう。受精卵が存在しうる場所というのは、おおざっぱに考えても「子宮」か「試験管」のように限定されます。
私は男ですので、こういう子宮が舞台であるという設定を進んで喜ぶことはできません。子宮は女性の聖域であり、不可侵であるという意識が強いからです。
喜びはしません(そして作者の方が男か女か存じません)が、こういう表現物があるということは問題なく受け入れることができます。子宮を舞台とした作品を作りたいという気持ちを理解することは難しいのですが、「そんな作品は存在するべきじゃない!」とは全く思いません。
赤い色味
個人的に、子宮と察せられるマップが赤を基調としているのは、子宮が内臓であり、月経など血をイメージさせる器官でもあることからわかるのですが、なぜ白をも基調としているのかは理解できませんでした。むしろ白は骨をイメージさせます。
またセーブポイントは卵子なのでしょうか? セーブポイントとして機能する意味はわかりませんが、卵子のような存在がマップ内にいることは不自然には感じませんでした。
ところどころ壁の亀裂から覗く「目」がなにを意味するのかも、よくわかりませんでした。
見てはいけない領域
この女性の聖域に踏み込むイメージが私の男性性のためか心地よく感じられないのは、このゲームに限ったことではありません。
スティーブン・キングの作品「キャリー」の小説(映画は見たことがありません)で、たしか主人公キャリーが初潮を迎えるシーンがありました。私は、そのシーンも心地よくは感じられませんでした。やはりどこか見てはいけないものを見てしまった印象があるのかもしれません。
むしろ場合によっては、その「見てはいけない」感が強い印象、また不快感として残り、作品としての強いイメージを刻むものなのかもしれません。
「堕胎」というテーマ
そうした子宮をモチーフとした世界観を用いるのはまだいいのですが、堕胎をテーマとしたのは痛々しくてより強く「嫌だな」と感じました。これを不快だといってのけるのは表現が違うと思うのですが、自分の体を大事にせず何度も堕胎を繰り返す「ママ」の声には、率直にいって「うんざり」という思いでした。
私にはまだ子供はいません。未婚ですので、子供がいつできるかわかりません。しかし堕胎、そしてそれ以前の妊娠というテーマは、女性だけの問題ではなく父親たる男性の問題でもあります。このゲームではその父親像がほとんど見えないのが、気にかかりました。
細かくは後で述べますが、このゲームの真EDでは母親と思しき女性が主人公と思しき少年に刺されているシーンが描かれます。これはやはり一種の「報復」を想起させます。ただ人間は単為生殖では増えず女性だけでは子を産めないため、やはり父親が描かれていないのはあまりバランスがよくないように感じました。
カンシ=鉗子
このゲームでは主人公たち受精卵やタネを襲う敵として「カンシ」が登場します。作中では一貫してカタカナで表記されていますが、これは「監視」というイメージをミスリードさせるものであり、実際は「鉗子」のことを指すのでしょう。
鉗子はつまんだりはさんだりするもの
これは作中でのカンシの引っかける「輪」のような形状や、エンディングで描かれる器具の様子から見てとれます。
なによりこのカンシを鉗子と見なすのは、堕胎がテーマであるのに合致します。鉗子は手術用のハサミ状のつまむ器具を全体的に指すようです。持ちやすいように持ち手が輪のようになっているものはあるものの、施術部位が輪の形状になっているのは(すべてではないにせよ)堕胎用の鉗子にある程度共通しているようです。
また作中では受精卵を溶かす「雨」が描かれます。これはなにか薬剤による堕胎などをイメージしたものなのでしょうか。細かくはわかりませんでした。
マップが血だらけなのは……?
カンシ=鉗子だと推測すると、パッと「マップ(=子宮)が血だらけなのは、鉗子で傷つけたからかも?」と考えるかもしれません。実際 私も少しそう考えました。
しかしあくまで鉗子は「対象をつかむ・はさむ」もののようなので、「子宮にいる胎児をつかむ」ことはあっても、「子宮自体をつかむ」ことはそう多くないのではないでしょうか。特にこのゲームのように、「出産と堕胎」をテーマとする場合は、考えにくいでしょう。
そのためマップが血だらけなのは、「鉗子で傷つけたから」というより、「無理な妊娠と堕胎を繰り返したから」というほうが適切かもしれません。短期的に鉗子で傷つけられたのではなく、長期的に体を大事にしてこなかったから、という考え方です。
鉗子の動画
私もこうした医療関係には疎いので、YouTubeで鉗子に関係する動画を探してみました。2つピックアップしましたが、グロではないのでご安心ください。
1つめは手術の動画ではなく、鉗子を器具として紹介しています。また字幕で解説されているので、声も入っていません。
2つめは海外の動画。人形を使ってのデモンストレーションです。ゲームに出てきたような穴が開いている鉗子を使用しています。こちらも「穴にくぐらせる」のではなく、「はさむ」のが基本的な使用法のようです。
動画を検索していてわかったのは、鉗子の英語名「forceps」で検索をしていると、「forceps delivery」という言葉がよくヒットすることです。これは「鉗子による分娩(出産)」を意味するようです。
そのため、鉗子はこのゲームのように必ずしも「堕胎」にだけ用いられる器具なのではなく、出産をサポートする器具としても使用されているようです。
受精卵たち
子宮という舞台設定も特殊ながら、主人公たちが「受精卵」であるという設定もなかなか見られない独特なものです。
男? 女?
このゲームのグラフィックで特徴的なのは、キャラクタのいずれもキャッチーに描かれているのはもちろんながら、男性ですら中性的、むしろ女性的に描かれている点も挙げられるでしょう。
ここの意図は、ハッキリいって私にはわかりませんでした。日本のフリーゲームには、自分の嗜好をゲームに盛り込む人は少なくないので、今回もそうしたケースと同じなのかもしれません。
もしくはなにか意図があるのかもしれません。しかしいずれにせよ、あまり意味はわかりませんでした。
ひょっとしたら各キャラの性別がハッキリとわかるメッセージがあるのかと思って何週かプレイしてみましたが、やはり詳しくはわかりませんでした。
意外と疲れる作品?
ゲーム内では、すべてのキャラの性別がハッキリとわかるようなイベントはないようでした。
しかし「3番目」の受精卵が、元は女性であったものの「タネ」と融合して男性でも女性でもなくなったという設定があるため、たとえば作者の方が裏設定として「実はこうでして……」とでも明かせば、こうした設定はいかようにも変わります。
こうした性別の「半端さ」は、個人的に落ち着かない印象を受けます。しかしそれは私がシス(出生時の身体的性別と自己的な性の認識が同一)であり、かつヘテロ(異性愛)の男性だからなのでしょう。
作風としてそうしたキャラクタがいることについて批判はしませんが、個人的にはさほど好きな設定ではありません。それはこうした表現が馴染みの薄いものであり、理解していくのにエネルギーを使うからかもしれません。
わからないものを理解しようとするのは、意外と疲れるものなのです。
エンディング
各エンディングは、最初に起きたベッドがある部屋の段ボールを終盤で調べたときに出る選択肢で、誰に手伝ってもらうかで変化します。
「ママに会う」とは?
このゲームでの通常のエンディングは、以下のようになっています。
Ending 1「刺客」 | 主人公は死亡 |
Ending 2「いってらっしゃい」 | 兄・姉の犠牲を経て、主人公は脱出 |
Ending 3「一緒に」 | 主人公は死亡 |
エンディングは出産?
Ending 2での脱出は、出産を意味すると思われます。しかし産道を通っているのか細かくわかりませんし、実質的にどこへ向かっているのかもよくわからないエンディングです。わざとはぐらかしているのかもしれません。もしくはゲーム表現では限界があったのかもしれません。
そもそもこのゲームの目的である「ママにあう」がなにを意味するのか、細かい定義が不明です。これはゲームとしての演出上の表現と、私たちのもつ実際の知識との食い違いが大きいからでしょう。
もし主人公が受精卵で舞台が子宮なら、ママに会うというのは「産まれる」ということをさすはずです。しかしゲームを見てわかるように、主人公は胎児の見た目をしていません。私たちの実際の知識にある「子宮内の受精卵もしくは育った胎児」と、ゲーム内でのキャラの見た目が一致しないのです。
「会う」の意味がわかりづらい
こうした食い違いをもっとも大きく表しているのが、「ママに会う、とはいったいなにか?」という疑問なのではないでしょうか。
通常「会う」というのは距離があった状態から会話などコミュニケーションがとれる距離に近づくことを意味します。しかし主人公などの胎児は母親の胎内にいるので、一般的に日本語で使うところの「会う」と同じ意味で使用されているようには見えなくなるのです。
このゲームでは、受精卵をすでに成長した人間の形状に表現し、また子宮を模したマップを歩き回るという形式にしています。そのためエンディングでの「ママに会う」というおそらく「出産」を意味することになるであろう表現が、実質的にゲームという架空の代物であってでも容易には表現できないものにしてしまったのかもしれません。
かといって主人公たちを胎児のような姿にし、リアルでグロテスクなグラフィックにしていたら、このゲームはこれほど人気が出なかったかもしれません。
真ED
真EDは、Ending 2「いってらっしゃい」のルート時に、5番目の兄との会話で「おにぃちゃんに行ってもらいたい」の選択肢を選び、かつXキーやEscキーで表示される主人公の「???」をすべて開放することで辿り着くことができます。
多くのゲームではもっとも辿り着くのが難しい、もしくは時間を要したり、手順が必要になったりするエンディングは「ベストエンディング」や「トゥルーエンディング」と呼ばれます。それはもっとも救いのあるハッピーエンディングであるというのがセオリーです。
多くの場合、そのエンディングに到達するまでの努力、かけた時間に対する制作サイドからの報酬のようなものといってもイイのかもしれません。
しかしこのゲームでは、この真EDでも救いはありません。すべての条件を満たしてEnding 2を見終えると、バグのように色や線がぐちゃぐちゃになったタイトル画面に、文字化けをしたメニューと思しき選択肢が表示されます。これを選択すると、真EDが再生されます。
この文字化けの意味は?
なおこの文字化けの選択肢「繝槭?縲√ヰ繧、繝舌う」を再コードしてみたところ、
マ??、バイバイ
と変換されました。変換前の「繝槭?」にある「?」は文字情報が失われているので、正確に変換できないようです。
文字化けを再現してみたい場合
この文字化けは再現できます。もともと「UTF-8」という文字コードだった文章を「Shift JIS(sjis)」に変換してしまうと、このような文字化けが起こるようです。
再現してみたい場合は、まず「UTF-8」と「Shift JIS」の両方の文字コードを使えるテキストエディタを用意するとイイでしょう。私は「Notepad++」をすでにインストールしていたので、そちらを使います。
まずは文字コードに「UTF-8」を指定した上で「ママ、バイバイ」と入力して保存しましょう(ファイル名や保存場所は自由で構いません)。次に文字コードを「文字セット」→「日本語」→「Shift-JIS」を選べば変換されます(画像をクリックすると大きく表示できます)。
Notepad++では、情報が失われた文字を「?」ではなく「・」で置き換えているようですが、文面がほとんど同じなのは見ればご理解いただけるでしょう。
真EDの内容は……
話を真EDに戻しましょう。
細かい状況はわかりませんが「生太」と呼ばれる少年が刃物を手に笑顔で女性(と思しき人)を見下ろし、その女性の「どうして?」「やっと会えたのに」「生太…」というセリフが表示された後、自動的にゲームがシャットダウンしてしまいます。
これを素直に読みとると、兄・姉の犠牲を経て「ママにあいたい」という目的を果たした6番目の主人公が、そのママに復讐をした、というのが自然でしょう。
実際には不可解なところがいろいろあります。『「生太=6番目の受精卵」だとしたら、なぜ成長した姿で描かれているのか?』、『ママの「やっと会えたのに」はいったいなにを意味するのか?』といったのが主だった疑問です。
6番目が順当に産まれ、成長して大きくなり、兄や姉のことを覚えていたのでその復讐を果たしたのでしょうか。それとも忘れてしまっているものの、「ママ」に育ててもらう過程で恨みを抱くに至って、傷つける、もしくは殺すに至ったのでしょうか。
細かいところはよくわかりません。
心地よくはないが嫌いではない
このように総括して「ママにあいたい」への印象を思い返してみると、決して私の好みに合致する作風ではありませんでしたの。つまり心地よい作品だとは思いませんでした。しかし嫌いでもありません。
「歪み」を見ること自体に、忌避感がないからかもしれません。たとえば私はマンガ「空が灰色だから」が好きです。これは後味が悪い話や不条理な話、またホラーじみた話がある一話完結のオムニバス形式で描かれる作品です。
この作品をオススメするのに、「おもしろい」という言葉を用いるのは、おそらく誠実ではありません。お腹を抱えるように笑うおもしろさはありません。また興味深いというような観察目的で離れて見るような、悠長でのんきな作品でもありません。
歪みのある作品というのは、その作品内のキャラを通して見ていくことで、自分の歪みをあらわにしてくれます。自分の歪みがあらわになることが気持ちいいわけではありません。自分にもこんなに汚く歪んでいるところがあるのか、という発見に近いでしょう。もしくは、「その気持ちよくわかる」という同調かもしれません。
他人の欠点を通して自分の欠点をも暴露され、一枚二枚削がれた皮膚で風にすら寒さと痛みというを感じてしまうような居心地の悪さをおぼえつつ、しかしそれが心地よくはないながらも決して「悪い」と断定して捨て去れないような気持ちになるのです。
もっとわかりやすくいうと「ホラー」も似たようなものかもしれません。たとえば「伊藤潤二」氏のホラーマンガなどがわかりやすいでしょう。
登場人物の多くが「異様」で、理解しがたい。けれどもドコカ理解できてしまうところもある……という奇妙な理解があるからこそ、惹かれてしまうものがあるのかもしれません。
この「ママにあいたい」にもそれに似た「こういうものがあってもいい」と感じさせられるものがあります。少なくともこの作品はフリーゲームであり、インディゲームです。
メジャーなゲームよりも感想のハードルは低くなるものの、インディゲームの醍醐味にはメジャー作品にはない「逸脱」もあります。つまり商用主体のメジャーな作品では描かれることが少ない「狂い方」「壊れ方」を味わえるのも、インディのおもしろさなのです。
さいごに
たとえば家族や親戚にこのゲームをプレイするように勧めることは基本的にないでしょう。
それはサブカルとしてこうした作品を味わう下地を共有できていないからです。
また生活が困窮していたり、忙しくて精神的に消耗してしまったりしている友人にも勧めないでしょう。この作品の臭いに「引っ張られる」のはよくないからです。
あくまでこのゲームは架空の作品として味わうべきです。そしてそれを味わい「こういう作品があってもいい」と答えられる人に対してなら、私はオススメするでしょう。もちろんその人の心に余裕があるときに。
前回のエントリのように「ユーザビリティがあまり高くない」という印象を私も感じました。また血生臭い作品は得意ではないのですが、この「ママにあいたい」のような作品があってもいいのだと私は肯定します。