物語を読み動画を見て、そして終わらせよう 「WORLD_END_EXISTED」

1ツイゲームレビュー
「世界の終焉」にまつわる日本製のノベルゲーム 「WORLD_END_EXISTED」の紹介記事です。

ダウンロードサイトのURL:
WORLD_END_EXISTED:無料ゲーム配信中! [ふりーむ!]
「WORLD_END_EXISTED」:「実行を開始します。」
タイトルWORLD_END_EXISTED
開発者ぴーた
オススメ度S<オススメ>:★★★(週間でのオススメ)
リリース日2020/03/15
価格フリー
次元2D(2次元)
ジャンルビジュアルノベル
特徴疑似デスクトップ/シングル/連作/ムービー
視点
グラフィックアニメ調2D
操作方法マウス&キーボード
言語日本語
インストール不要
ファイル容量260MB<アーカイブ> / 303MB<解凍後>(Version 〇.〇〇)

ツイート

ツイートより概要を読みたい方は、こちらで飛ばせます。

補足

概要

「WORLD_END_EXISTED」は、2Dのビジュアルノベルゲームです。過去の作品のストーリーラインをなぞる形で、ムービーやテキストを見ていくことになります。

本作では、同じ作者のゲーム「RE:トロイの木馬-TROJAN HORSE-」「終末にさよならを、君に救済を。」などからの強い関連性が伺えます。登場人物は同じですし、本作のテキストなどで見られる情報は、こうした過去作品のストーリーラインと同じものになっています。

「終末にさよならを、君に救済を。」#01【フリゲ】世界を救うために戦い、消そう【おすすめ】
キャッチーで手軽ながらその奥に謎を秘めるフリゲ「終末にさよならを、君に救済を。」のご紹介です。 こんにちは、Caffeineです。 今回ご紹介するのは「終末にさよならを、君に救済を。」です! タイトル 終末にさよ...

疑似デスクトップ

まずゲームを起動すると名前(ユーザー名)を入力することになり、デスクトップ画面に移動します。もちろん「ゲーム内の疑似デスクトップ」であり、実際にみなさんが使っているPCなどのデスクトップではありません。

この疑似デスクトップには、2つのフォルダと過去作品にも登場している「間宮巳雲」が映し出されています。巳雲にマウスでクリックしても、アニメーションが動くだけで特に進展はありません。デスクトップの左にある2つのフォルダを見ていきます。下側の「Character」はキャラクタ紹介なので、基本的に上側の「Data」フォルダのデータを見ていくことになります。

このDataフォルダ内には、exeファイル・txtファイル・mp4ファイルなどがあります。なかにはパスワードでロックがかけられたものがあり、他のファイルを参照してパスワードを入力するまで閲覧できません。これは実質的に、「表示されるすべてのファイルを見るまで次に進めない」という進行の制御なのでしょう。

過去作品をプレイしていなくても、おそらくは楽しめるはずです。特に疑似デスクトップ上で操作するというシステムがかなり作り込まれているので、そうした演出も楽しめます。しかし没入度、特に各キャラクタに対する思い入れという観点では、過去作品をプレイしていれば感情移入が強くなるのは間違いありません。

やや独特な表現ながら、多くの人が「デスクトップ」だとわかるものになっているでしょう。

オススメ度

「WORLD_END_EXISTED」のオススメ度は、Sランクです。Sランクは、毎週のまとめ記事にて週間の「オススメ」としてピックアップできるくらいのオススメ度です。

本作がSランクなのは、疑似デスクトップのシステムなどかなり凝った作りで労力が伺えるのですが、ストーリーラインが過去作品を「なぞる」ものがほとんどで、過去作品をプレイしていれば「再確認」でしかないのがマイナス要因であるということです。なにか大きな新展開があれば、SSランク以上も見込めたかもしれません。

ネタバレあり

ここから先は、ネタバレ情報を含めて本作の解説・プレイ感の説明などをしていきます。
未プレイの方や、ネタバレ情報を見たくない方はご注意ください。

プラス要素とマイナス要素

本作のプラスの点とマイナスの点を考えてみると、疑似デスクトップでビジュアルノベルを表現するというおもしろい試みはあるものの、やや「ゲームの進行」がわかりづらく、どこをどうすれば次に進むのかが理解できなくなり詰んでしまいかねないところがあります。

ファイルを虱潰し

私がプレイした限りでは、本作の進行条件は「表示されているすべてのファイルを閲覧する」と「パスワードを入力する」の2つがありそうです。パスワードを入力しても次のファイルが追加・表示されない場合があり、そのときは「既にあるファイルをすべて閲覧する」ことでファイルが追加されました。

つまり見逃しがあると「どれを見てないかわからない」ので、虱潰しで全ファイルをクリックし直す、というけっこう面倒な作りになってしまっています。そのためテンポがかなり悪くなってしまっている印象は否めません。

ゲームに不慣れな人であれば、本当になにをしていいかわからずに詰まってしまい、未クリアのまま投げ出してしまうかもしれません。そのため「(フリー)ゲーム慣れしている人向け」というニュアンスが出てしまっているかもしれないのです。

改善案としてはLINEの「未読・既読」のように、なんらかの「まだ閲覧してないファイルはこれですよ」と示すシステムがあれば、プレイしやすくなるかもしれません。しかしそれはそれで疑似デスクトップ感が薄れてしまうので、諸刃の剣かもしれません。

一本道

そして本作は特に分岐があるわけではありません。
公式の説明文でも「エンド数:1(HAPPY END)」と明記されているので、なにをしても結果は変わりません。よく選択肢なし・エンディング1つのビジュアルノベルが「紙芝居ゲー」と呼ばれます。もちろん本作では「疑似デスクトップを操作する」という演出の側面が強いので、そうした俗称は適切ではありません。

しかし過去作品をプレイしていると、「同じストーリーラインをなぞる」だけになる部分が多いので、「えっ、このゲームをプレイする意味ある?」と感じてしまうかもしれません。これは「ストーリーに新しいところが少ない」というマイナスと「疑似デスクトップの演出」などでのプラスを個々人が天秤にかけたときにどう感じるか、という側面が大きいと思われます。

その上でこうしたエンディングが変化しない一本道の作品をプレイすると、クリアした上でもどこか物寂しさがあるのです。最後の選択肢私は最初「消さないルート」を選びました。しかし勝手に消されるので、「私がプレイする意義があるのか?」と考えさせられてしまったのです。

ひょっとすると過去作品を踏まえた「総集編」めいた作品が本作なのかもしれません。

またキャラクタのデータを消す、というシステムは「Doki Doki Literature Club」で経験済みですが、やはりあちらを体験していると本作の「疑似」がちょっと残念に感じられるところもあります。

回答の1つ

最終盤で「お前はこのゲームを通じて、何を見た?/何を感じた?/[主人公の名前]には、俺がどう見える?」と巳雲に問われます。

別に私が答える必要はないのですが、こうして自分のメディアをもっているので、回答の1つとして掲載しておくのもおもしろいかもしれません。

「A=A’」と「A≠A’」

私はゲーム内のキャラクタをすべてデータだと見ています。それが「人間であるか?」と問われたなら、「人間という”体”のデータ」だと答えます。

それはたとえばこれを読んでいる皆さんの頭のなかにいる私Caffeineとも似ています。皆さんの頭のなかにいるCaffeineは、私Caffeineではありません。少なからぬ誤差があるからです。

人を知るというのはその誤差を縮めていくことです。つまりAとA’の誤差を縮めてA=A’にしていくことです。「相手をよく知る」こと自体が「愛する」ということだと見なす人もいます。

そのように捉えると、作者の考える巳雲と私の考える巳雲は異なります。私の考える巳雲はどうあがいてもA≠A’としての「巳雲’」にしかなりえません。そして基本的にこの誤差を埋めることはできません。

なぜなら巳雲は創作物だからです。ゲーム内のキャラクタだからです。ゲーム内のキャラクタは、開発者の意図によって形を変え、最終的にこれでよしと思われた形に収束します。

更新の終了=死

完成したゲームをプレイするということは、基本的に「もはやその作品に手が加えられることはない」ことをさします。もちろん近年ではパッチやアップデートがあるのでその限りではありません。しかしいつかはアップデートが打ち切られ、更新が終了します。

その更新の終了は、おおむねキャラクタの死を意味します。これは現実世界での肉体的な死とは少し異なります。むしろ精神的・社会的な死に近いでしょう。

たとえば学生の頃の友達でしばらく会っておらず今どうしているかわからない人がいるとしましょう。もしその人に二度と会うことがなければ、他人から近況を聞くくらいしかできず情報は更新されません。この種の「断絶」は、社会的な死に近いのです。

他にも、少し酷な見方ではあるのですが、戦争や災害で行方不明になったまま戻らない人のことを、「行方がわからないだけで死んではいない」と捉えることができます。これは肉体的な死を確認できないだけで、社会的には死んでいることになりえます。なぜなら情報がアップデートされないからです。

ゲームに限らず、創作物のキャラクタはどれも同じです。作者がキャラのアップデートをやめてしまえば、キャラの情報は更新されず死にます。逆に捉えると、創作物のキャラの生とはその程度のもので、作者という神に文字通り握られているのです。

現実の人間は、神がいるかどうかは別としても、「情報が更新されない」という社会的な死が、すなわち肉体的な死であるとは限りません。無人島で人知れず10年生き延びていれば、社会的には死んでいても肉体的には生きている、というのが一例です。

そうした観点からすると、巳雲を含めた本作のキャラクタはすべて、ジョジョでいうところの「スタンド」みたいなものです。作者のスタンドです。

スタンドが見えなくなったからといって、本体がスタンドを見えないよう隠しているだけかもしれません。もしくは能力をなくしてスタンドが出せなくなったのかもしれません。直接 本体の人に確認をとらない限り、どちらかはわかりません。

私は本作のキャラ”だけ”を愛せはしない

おそらくどちらでもいいのだと思います。
なぜなら私は「巳雲のための私」でもなく「(本作の)作者のための私」でもないからです。

本作の作者さんは、どうやらこのキャラたちをかなり愛していらっしゃるようです。その度合いに比べると、単なるプレイヤーである私たちの思い入れとは比べるべくもないでしょう。

最近私が行っている「#1ツイゲームレビュー」における、毎日ちゃんと自分でプレイして情報をまとめてアウトプットする、という作業を噛み砕いてみると、これは「自分のもっているゲームに対する情熱を1作にすべて注ぐのではなく、たくさんの作品に薄く広く伸ばす」という作業に近いのだと感じています。

そのためおそらく、巳雲の救いを求めるような期待に、私は応えられないのです。私は本シリーズだけを愛し巳雲だけを愛すのではなく、プレイしてきたすべてのゲームに思い入れがあり、その登場キャラすべてに多少なりとも感情移入してきているのです。私は巳雲のOnly Oneにはなれません。それが答えの1つです。

もしそれにもう少し可能性を上乗せするのであれば、私の「#1ツイゲームレビュー」という拡散行為によって少しでも本シリーズのプレイヤーが増えて、巳雲のOnly Oneになれる可能性のある人が増えれば、まだ多少の救済になるのではないかと思います。

閉塞感

またこのシリーズの展開を考えると、「閉塞感」を覚えてしまう、というのが正直なところです。ゲーム内のキャラたちの世界は、私たちプレイヤーの世界より常に小さいからです。私たちはゲームを捨てて世界を見に行けますが、ゲーム内のキャラたちはできません。

似たような展開を繰り返すというのは、同じ劇場で似たような演劇を繰り返し見ているような気分です。限られた箱庭で演劇をしているのを見て、「この劇は世界の広がりがあるなあ」ではなく、「なんか狭っ苦しいな」もしくは「他の劇場に見に行ったほうが広がりはあるかもしれない」と感じたりするのです。

これを演出論としてアウトプットするなら、「精神世界のような描写はほどほどにしないと慣れてしまう」というような話に落ち着くのかもしれません。

力作でおもしろいのは間違いない

少し長々と文章を続けてきましたが、本作がおもしろい作品であり苦労の結晶であることは間違いありません。これまでの私の文章は、それを微塵も否定していません。

既に述べたように、「すべてのファイルに目を通す」という進行条件があり、「どのファイルを見ていないかがわかりにくい」ので、何度も既に見たファイルを見直すことになる、というようなシステムの不備のようなものは感じられます。

そうしたマイナス点があったとしても、「疑似デスクトップでサウンドノベルを表現する」というアイディア、そしてそれを実際に完成させるという努力は、しっかりと評価されるべきです。

タイトルとURLをコピーしました