こんにちは、Caffeineです。
今回は「人身売買デスゲーム」の感想を、デスゲームものというジャンルを中心に述べていきます。
ネタバレありですのでご注意ください。
個人的感想
前回はネタバレなしで、客観的なオススメとイマイチを述べてきました。今回はネタバレありで、主観的な好みを述べていきます。
最初に明記しておきたいのは、この「人身売買デスゲーム」が好きか嫌いかを問われたら、私は間違いなく「好き」だと答えるということです。楽しんでプレイしましたし、エンディングまで見終えて「プレイしてよかった」と感じました。その上で好きなところとそうでないところを記すということです。
好きなところ
まずは気に入ったところを挙げていきます。
しっかりと脱落する
この「人身売買デスゲーム」では各ステージで価値が最安値だった能力者は売却されていくシステムとなっており、その基本的システムがしっかりと守られます。守られるというのも妙な話ですが、ものによってはそうした基本的な設定がはぐらかされてうやむやになるものもあります。
そうした基本的な設定が守られなくなるのには、話を作る内に設定を忘れてしまうこと、整合性がつかなくなってうやむやにしてしまうこと、途中で設定が受けないと判断したためはぐらかしてしまうことなどが考えられます。特にマンガでは読者受けを狙って、初期の設定がいつのまにか忘れ去られたり、場合によっては作品のジャンル自体が変わったりするものすらあります。そうした作品に比べると、「人身売買デスゲーム」はしっかりしている作品だといえます。
キャラの多様さ
3時間程度と短めのボリュームながら、デスゲームということもありキャラクタ数が多く、その人物像も多種多様になっているのもおもしろいところです。おおむねサブカルで用いられる物語は、「キャラクタ」がキモです。話がおもしろくてもキャラクタが貧相なら受けませんし、キャラクタが立っていれば話が多少つまらなくても受けるとすらいわれます。
本作はデスゲームということがあり、主人公・タイチと同じく強制的にデスゲームの参加者となってしまう能力者たちが多くいます。そしてそれぞれ役割が重複してしまうようなことがなく、それぞれが独特な味わいをもっています。それはストーリー上脱落するとわかっている敗残者に関してもそうです。
脱落者は1人めが花を咲かせられる「カラキ ナルア」、2人めが難病で亡くなった母をきっかけに医師を目指した「コナカ セント」、3人めが沖縄の方言でしゃべり緊張感のないムードメーカー「キンジョウ ミツル」、4人めが可愛らしい姿で人を騙す「コニシ コハル」、そして5人めがもっとも強くもっとも弱かった「トキエダ アカネ」。そして主催者である「えべっさん」も最後には売却されていきます。
中盤以降では意外性のある人物が脱落していくこととなりますが、序盤では思い入れのある人物も少なく、単にデスゲームの恐ろしさを実感させられるために敗残者は売却されていきます。それでもなお正直に能力のことを話して自ら価値を落とした「カラキ ナルア」や殺人犯であるミタケの口車に乗って負けてしまった「コナカ セント」など、序盤で印象に残りにくいはずなのに「もし生き残っていられたら」とすら思ってしまうキャラクタもいます。
こうした作品ではキャラクタの記号化された性格がそのまま扱われ、エイジングのように角がとれることもなく逆に味気なく感じられることもありますが、「人身売買デスゲーム」ではそうした要素が強く感じられることも少なく、とてもスムーズに感情移入できる作品でした。
少年マンガ風の熱血
本作のストーリーのキモは、やはり最後の「えべっさん」を出し抜いて売却するシーンでしょう。この瞬間こそが「カイジ風」と評しうる点であり、「人身売買デスゲーム」のカタルシスともいえます。そして心情としては複雑ですが、カジマを殺した「ミタケ マサタカ」が次第にアカネを助ける同志となり、最終的に生き残るというのも味わい深いものです。
特に主人公・タイチの自殺願望・希死念慮が解消され、もっと前向きに自分より強い存在「えべっさん」に対抗していく克己の模様は、やはり熱いものがあります。
個人的に思うところは、むしろフリーゲームとしてはストーリーができすぎているくらいに感じられるところです。作者の方は、少年マンガに似た形である程度ストーリーづくりを学んでらっしゃった方なのではないか、と感じるくらいでした。
私の体感では、最初にナルアが脱落したとき1人めで女性を殺すことに意表を突かれました(アカネとユカリの女性2人が生き残るので、重複しないよう早めに脱落させたのかもしれません)し、2人めの医者のタマゴであるセントが脱落したときは「一番有用そうなキャラが消えた」とやはり驚かされました。逆に殺人犯がミタケであったり、コハルが猫を被ったりしていたのは予想通りでした(ミタケが生き残るのは、彼のようなキャラがいないと終盤であまりに「なかよしグループ」感が出てしまうからかもしれません)。そして主人公・タイチを先導してきたアカネがラスト前に脱落するのも、少年マンガ的なストーリーづくりとして常套です。
そのため前半はデスゲームとしての不穏当さを示すのに、か弱い女性、献身的なキャラクタが犠牲となり、後半は少年マンガ風カイジの巻き返しを行うように殺人犯が暴かれ、詐欺師、そして一番の協力者が脱落していき、オーラスとして本作最大の敵であるえべっさんを撃退する、という見事なストーリーだと感じました。
いやー、終盤の展開は
たしかに熱かったよな。
カジマが生きてたら
もっと熱くなってたかもな。
っていうかシロート自身が
「もっとアホなカジマ」みたいな
ところあるよね。
なにをー。
あまり熱すぎるのも暑苦しくて
よくないかもしれませんしね。
まじかー。
好きでないところ
では逆にあまりに好きになれなかったところも挙げていきます。
婉曲的な「死」の表現
本作の死の表現は、非常に曖昧になっています。その曖昧さは、言語的(バーバル)表現と非言語的(ノンバーバル)表現によって大まかに分けられています。
本作では言語的には「売却された者は殺される」と語られます。終盤では投資者の住処に向かい、実際に対峙して戦うことになります。そこでは投資者によっては購入した能力者を捕食し、その能力を習得することができるとされています。そして実際に最初に最下位となり売却されてしまった「カラキ ナルア」が捕食されその植物活性能力が奪われてしまった様子が描かれます。
そして非言語的には、能力者総会の売却後のアニメーションで、敗残者がどういう処遇を受けたかが映像だけで描かれます。おそらく表現をマイルドにするためかと思われますが、実際に事切れる瞬間まで描かれるわけではなく、「死んだ」と完全に断言できるものとはなっていません。
この2つの面から考えると、本作での敗残者の処遇は「作品内の生き残った能力者たちからは『死んだ』と認識されているが、実際にはどうだかわからない」というものにしかなっていません。いろいろな作品を鑑賞してきた方であれば、こうした曖昧な設定は後づけでいくらでも覆しようがあることには気づくことでしょう。
特に本作のエンディング後には、『予定通り開催するのですよ…… 「価値ある人間」による真のデスゲームをね……』というセリフと「To Be Continued…」というメッセージが表示されます。これは明らかに続編をほのめかしています。
もちろん私は続編がどのようなものになるか知りませんし、本当に続編が発表されるかもわかりません。しかしその内容によっては、これまで脱落して売却され、場合によっては投資者に捕食されてきた者たちが、実は死んでおらず再登場する、というような展開になることも考えられます。そもそも死んだとしても生き返らせる能力があればどうとでもなる、というのはドラゴンボールやキン肉マンなどを知っていれば頭に浮かんでもしかたありません。
個人的に「死」という概念を弄ぶのは好みではありません。作品内で「死」の概念を変えて「死んでも生き返る」とすれば、「死のインフレ」が起きて「死の上位概念」として魂の死や消滅などが設定され、それでも生き返ることができるようになり、さらに上位概念として存在の死など、いたちごっこになる可能性があります。
もちろんここでの「死」は、マリオやシューティングでの「残機」などを示すものとは別の概念です。
あえてここを擁護するのであれば、マンガや映画など「続編」が期待できるものには、どこかしら曖昧さが隠れているものなので、これは本作に限ったことではないということがいえます。完全に断言してしまうと続編の可能性をあらかじめせばめてしまうことになるため、続編が期待できる場合はそうした曖昧さを残しておくほうが作品の幅を広くしたままにしておけるのです。
これは非難ではありませんし、批判でもありません。私の感じ方としては、「そう来たか」という具合です。この曖昧さが意図的だった場合は続編での可能性を残すためかもしれませんし、実際には意図的でないかもしれません。どちらでも構いません。ただ現状では、本作で死として扱われているものが実際には死として扱われるべきではない未確定のものなので、評価が曖昧にならざるをえないということなのです。
一本道
本作のストーリーは一本道です。能力者総会で脱落し売却されるキャラクタは決まっており、プレイ・選択によっては変化しないようです。私は記事にする上で2周めなどをプレイすることがあるので、まったく同じルートを辿ったところで気づきました。
これは個人的にマイナス要因でした。昨今の日本のフリーゲームでは、多くの作品がマルチエンディングを採用しています。これはファミコン・スーファミ世代のゲーム黎明期にあった「一本道ゲーム」へのアンチテーゼのひとつではないかと考えています。
一本道というのは、プレイのしかたに関係なくストーリー・筋道が完全に決まっています。たとえばDQ5では中盤で花嫁を選ぶという要素があり、誰を選ぶかが大きな論争となります。これはプレイヤーの選択によってストーリーが変化するという大きな分岐です。しかしDQ5では選ぶ花嫁によってある程度の差はあるものの、結末が完全に変わってしまうような決定的な選択とはなっていません。
しかしそうした作品でも、ストーリーとは別に変動するものがあります。本作では「お金」です。通常のRPGではレベルに該当するでしょうか、プレイヤーが積み上げてきたキャラクタの成長や集めてきたアイテムは、ストーリーとは別に存在します。本作のお金も、ストーリーとは別にプレイヤーが苦労して集めて稼いだ証として残ります。
しかしいってしまえば、それは大したものではありません。ストーリーが変わらない以上、そうした変動せずに残るものは「プレイヤーの自己満足」のレベルの残留物に過ぎません。ストーリーがあり結末があるゲームというものにおいては、やはりその数が1つしかないというのはとても特徴的で、人によってはマイナス要因となることもあるでしょう。
自由度とは
近年のゲームでは「自由度」という言葉が使われることが多くなってきています。私がこの言葉を強く意識し始めたのは、海外のFPS視点RPGである「The Elder Scrolls V: Skyrim」をプレイした後でした。Skyrimはとても自由度が高く、クエストという単位でストーリーが進められ、メインクエスト・サブクエスト・派閥クエストなどがあり、実は1000時間近く私はプレイしましたがまだメインクエストをクリアしていません。
これがDQやFFであれば、1000時間近くレベル上げやアイテム集め、カジノ、カードゲームなどのサブ要素に興じていただけに過ぎないでしょう。しかしSkyrimでは自由度が高いため、ストーリーを楽しむ以外にもいろいろプレイスタイルがあるのです。私の遊び方は、MP消費をゼロにする装備を作ったり、各地で家を購入したり、とにかくサブクエストをコンプリートすべく各地を放浪したり、MODで新しい仲間を導入したりなど、いろいろと楽しんでいました。
自由度という言葉は、いったいなにから自由だということを意味するのでしょうか?
私はこれを「制作者の意図から解き放たれ自由になること」だと考えています。制作者が「こういうふうに楽しんでほしい」と意図して制作したものを、その意図を無視して別の楽しみ方をプレイヤー側で勝手に見つけることが許される、それが自由度の高さなのではないでしょうか。
そうだとすると、本作に自由度はありません。なぜなら一本道だからです。
先ほど通常のRPGでのレベル上げや、本作でのお金を稼ぐことがストーリーとは別の独立した要素として残ると述べました。しかしそうして努力して積み重ねたレベルやお金は、あくまで作者の意図の範疇内に過ぎません。
はっきりいって、この自由度に関する問いはゲーム全体のものであり、フリーゲーム1作に委ねるべきものではありません。そして私も本作にだけそれを課そうなどとは微塵も考えていません。
ただそうした自由度について考えてみると、本作はあくまでストーリーが主体であり、それが描かれる様子はまるで実際に「少年マンガを読んでいる」ようなものだったのではないか、と感じます。ゲームとしてのアイデンティティは論理パズルが担っていますが、それはストーリーに比べると比重は軽いように感じました。そのため厳しく批判するなら、本作は「プレイする少年マンガ」だったのではないか、ということなのです。
これを「ゲームへの没入度」というような指標で考えると、本作は没入度があまり高くない作品といえます。たとえばMinecraftは非常にゲームとしての没入度が高い作品です。逆説的に考えれば、Minecraftはゲームとして存在するのがもっとも適当であり、マンガやアニメ、映画としては成立しにくい作品だからこそ、ゲームとしての没入度が高いのです。
この点で好意的に解釈すれば、本作はゲームとしての没入度はあまり高くありませんが、メディアミックスを行ってマンガとしてコミカライズするなど変換するのにはかなり親和性が高いといえます。
本作とはあまり関係ありませんが、補足的につけくわえると、「マルチエンディング」というシステムはこの自由度に寄与しません。マルチエンディングはエンディングが1つではないものに与えられる名称であり、基本的にエンディングはその数によらずすべて作者の意図から外れるものではありません。作者がエンディングを考えて設定している以上、それはここで述べた自由度の範疇外のシステムです。
さいごに
いろいろと述べてきましたが、この「人身売買デスゲーム」は本当におもしろく最後まで楽しめる作品だと感じました。ネタバレをしていることもあり、ここまで読んで下さった方々の多くは既プレイの方と思われますし、本作のおもしろさはご存知のことでしょう。
本作の作者である蔦森くいな氏は、他にもゲームを制作していらっしゃるようなので、いずれ他の作品もご紹介したいと思っています。
前回もそうだったけど
Caffeineって考えすぎる
きらいがあるよね。
そうでしょうか。
俺もそう思うとこはあるな。
こんなことばっか考えてたら
生きにくいだろ。
~~…………!
(目を見開いてプルプル震える)
めっちゃ傷ついてる!
「生きにくい」ってところが
図星だったんじゃないの?
これはなにか
フォローしとかないと……。
ポン
(Caffeineの肩に手を置く)
まあ
なんとかなるよ。
(力なくうなだれる)
フォローでも
なんでもねえ!