こんにちは、Caffeineです。
今回はネタバレを交えつつ「殺人鬼の街」の主観的な感想を述べていきます。
どんな人向け?
深くクイズを解きたい人
猟奇的な「謎」を味わいたい人
進 – Advanced
それではこの「殺人鬼の街」について、少し踏み込んだ情報を考えていきましょう。
プレイ感
実際にプレイしてみると、「殺人鬼の街」はどのような印象を受ける作品なのでしょうか? 主観的な感想を述べていきます。
開発コストが安そう!
「殺人鬼の街」をクリアしてみて感じるのは、「開発するためのコストが安そう」だということです。本作はフリーゲームでありインディゲームですが、個人制作などであった場合などにも「制作コスト」は低いほうが完成させやすくなります。
映像のコストが安い
本作の見た目からわかる特徴は、とにかくグラフィックが変わらないというところです。各クイズを解いた後に再現VTRのようなグラフィックが流れる以外は、画面中央に映る「イスに座った少女」が映り続けます。
この「映像が変わらない」という点はプレイヤーからすると特に利点はありませんが、開発する側からすると非常に大きな利点があります。それは「開発コストを抑えられる」ということです。ここでの開発コストは、特に労力や時間といったリソースのことを指します。
これはフリーゲームであるという強みかもしれません。市販のゲームではある程度の価格で販売されるかわり、それに応じたクォリティの作品をリリースできなければ批判されます。
しかしインディゲームでは価格を引き下げることができ、それに応じてクォリティの低さも許容されます。それはフリーゲームであればなお顕著です。
あえて申し上げると、これは「上手な手抜き」だと私は判断します。最後までプレイし終わった後で、最終的にほとんど絵面が変わらなかったことを含めてもなお「けっこうおもしろかった」と感じたのですから、これは作者に軍配が上がったと認めるべきでしょう。
手抜きが下手だった場合はプレイヤーの怒りを買いかねませんが、そうでなかった場合は上手だったと拍手を送っても構わないでしょう。
量産も可能?
また「殺人鬼の街」のゲーム性は水平思考パズルに類する論理パズルということでした。本作ではまずいくつかのクイズを解き、そこから得られた「メモ」が最終的に最後のクイズのピースとなる、という結末でした。
このシステムを転用すれば、ある程度の量産ができるかもしれません。たとえば本作での最後のクイズを第1層とし、その第1層のクイズのピースとなる「メモ」を与えることになるもろもろのクイズを第2層とすると、第3層や第4層を用意することもできます。つまりもし第4層まで用意した場合、冒頭では第4層のクイズを解いていき、その第4層から得られた情報をきっかけに第3層のクイズを解いていき、また第3層から得られた情報をきっかけに第2層のクイズを……と、入れ子構造にしていくことができるのです。
これは企画としては「拡大」するための思考法です。ゲームの規模を大きくするための考え方です。そのためもちろん開発にはコストが増えることはやむをえません。しかしこうしたゲームでは複雑で巧みに誘導してくれる作品ほどプレイヤーは楽しく感じるものですので、やはり楽しみを大きくするためには規模も大きくしたくなるものです。
ただし気をつけておきたいのは「ゲーム」であるアイデンティティを保つことです。量産する方向性で、しかも拡大ではなく縮小する方針で考えてみると、このタイプの最小単位はやはり「クイズ1問」にまで小さくできるでしょう。しかしたとえ水平思考パズルを1問だけRPGツクールでプレイできるようにしても、それはゲームというより単に「RPGツクールでプレイできる水平思考パズル」にすぎません。
単なる水平思考パズルをゲーム、とくに「TVゲーム」と認識しうるものにまで高めるには、本作の「上の階層を用意する」といったような工夫がなにかしら必要になるでしょう。ただ単に同じジャンルのクイズを集めても、それは「寄せ集め」にしかならないことがあります。単なるオムニバスです。もちろん人によってはそれでもゲームだと認めてくれるかもしれませんが、そうではない人もいるかもしれません。
料理から逆算する
この「殺人鬼の街」をプレイした後、ふと考えることがありました。それは「ふだん私たちが当たり前のように食べている料理を、殺人になぞらえてみるとすごく残酷なのではないか」ということです。
たとえば私は「ししゃも」が好きなのですが、ししゃもは基本的に子持ちのものしか重宝されません。そして頭から卵まで全部食べることができます。これをししゃもという魚ではなく、妊娠した女性だと置き換えると、非常に残酷です。
「海鮮丼」のようにいろいろな種類の魚を揃えたものも、「いろいろな人種の肉」と置き換えると悪趣味です。
「親子丼」も勝手に親子と名づけているものの、ある雌鶏が実際に産んだ卵を使用しないといけないという厳密なルールはありませんので、まったく別の鶏が産んだ卵を使用していることになります。これを「人間の女性に別の女性の子供を……」となど考えると、それはもう素面で書くには堪えない文章に仕上がってしまいます。
他にも牛タンは焼肉で人気のある部位ですが、そうした特定の部位だけを集めるというのも、人間のベロなどに置き換えてみると猟奇的です。
しかも魚の内臓を発酵させた食べ物もあり、これも「おいしく食べるために人間の内臓を発酵・熟成させる」という方向で考えると、もう正常ではありません。
猟奇的な事実というのは、意外と気づいていないだけで日常的にあふれているものなのです。
彼女の名前は?
本作「殺人鬼の街」の最後のクイズは、タイトル画面からずっと中央でイスに座ったまま微笑みかけている少女の名前を当てるものです。これをヒントなしで当てることができたでしょうか?
ヒントなしで当てるのは難しい
ちゃんと告白しておくと、私は同梱のtxtファイルを閲覧して彼女の名前を当てることになりました。私は昔からこの手の「正解の文字列を入力する」タイプのクイズが苦手です。特に人名を入力する場合は、苗字と名前の間のスペースなどの有無を考えるなど、面倒になってきてしまいます。
「本名」と「偽名」の区分が曖昧であり、最初に「アキ」とだけ入力してダメだったときには、かなり諦めモードになっていました。
その点では、本作では攻略情報が同梱されていて非常に助かりました。もし攻略情報がなければ、すべて諦めてやめてしまっていたかもしれません。
伏線の回収
しかしその分といいますか、最後のクイズを解いたあとの伏線の回収はなかなか見事だと感じました。最初から「主人公は誰なのか」「そもそも主人公はいるのか」という疑問がありましたが、それが最後に「犯人であるカグラアキと対峙するジャーナリストなどの人物」であったとわかり、それがわかった瞬間には後ろに隠れていた養父カグラオウエツに捕まってしまうのです。
メニューである「資料」「メモ」の意味も、この結末を見て初めてわかるようになっています。なにもかもわからなかったのは、この結末をしっかりと味わうためだったのです。
もったいないと感じさせられてしまうのは、どうしても「大オチ」が用意されている作品は最後まで見ないとその妙味を楽しむことができない点です。ホラー映画で倒されたはずの敵役が実は生きていたとエンドロール後に明かされるシーンがあったとして、それをしっかりと味わえるのはすべてを見通すことができた人だけなのです。
もちろん細かな疑問は残ります。主人公がジャーナリストなどであった場合、彼女に関する最後のクイズに至るまで、それまでの「DV家族」「殺人鬼ファンクラブ」といったクイズを彼女の目の前で解いていたのは不自然ではないか、ということです。
彼女は主人公が解くまでずっと待っていてくれたのでしょうか?
養父も主人公の背後で待っていてくれたのでしょうか?
それとも主人公の脳内で一瞬だけよぎった回想のようなものだったのでしょうか?
それとも単にゲーム上の演出にすぎなかったのでしょうか?
私は個人的に、ゲームの演出だったのだと受け取っています。彼女に関する最後のクイズに至るまでは、単なる前哨戦として主人公や犯人・アキ、そして養父などにとっては時間が停まっていたようなものだったのだと理解しています。
論理パズル自体は得意じゃないが、
こういう意味のあるエンディングは
めちゃくちゃ好きだぜ!
見ていて気持ちいいですよね。
もちろんストーリーとしては
誰も止める者がいないっていう
絶望的なエンディングでは
あるんだろうけどね。
おもしろいよね。
シークレット
シークレットは、すべてのクイズで「ヒント」を使わずにクリアすると閲覧できるようです。同梱の攻略情報があるため、最初からやり直してヒントを選ばずにクリアするだけでいいので、大して時間はかからないでしょう。ただ攻略情報を同梱している以上、このノーヒントクリアという条件をつけたして再度最初からプレイさせるというのが有意義なのかどうかは、個人的には怪しいと感じています。
「殺人鬼の街」を一言で表すと?
本作「殺人鬼の街」がどんなゲームであったのか率直にいいあらわすと、ゲーム性は「論理パズル」であり、なおかつ本作の妙味は「隠されていた謎がすべて一瞬で理解できるようになるエンディング」でしょう。
つまり「大オチが大事な論理パズル」とでもなるでしょうか。
それはたとえば「記憶喪失の主人公が、ラストですべてを思い出す映画」のようなものです。もちろん謎は最後まで残されますし、その謎の真相を理解する最後のシーン以外も楽しく鑑賞できる
最後に
「殺人鬼の街」は短くシンプルな作品ながら、最後までプレイするとそれなりに楽しめたゲームだと個人的には感じました。もっとプレイしやすくするには、やはりチュートリアルがあったほうがよかったのではないか、とも思います。しかしオーラスの目隠しをされるオチは、なかなか趣向がこらされていると思わされたので、いろいろな方にプレイしてみてほしい作品でした。