こんにちは、Caffeineです。
前回は「At Home Alone」について基本的な情報をまとめていきましたが、今回はこの「At Home Alone」を実際にプレイしてみるとどんな感じであるかを示していきたいと思います。今回は「実際にプレイした人」「少なくとも1つの実績は解除している人」に向けて、この「At Home Alone」とはどんなゲームだったかという情報をまとめていきます。
注意書きをしっかりとしておきますが、「ネタバレ」があります。攻略情報は次回エントリとして掲載しますので、ネタバレがお嫌いな方はご注意ください。
どんな人向け?
騙されても創作物なら許せる人
鬱系ストーリーが大丈夫な人
食べ物に譬えると?
噛むと無糖チョコが出てくる糖衣チョコレート菓子
極 – Professional
この「At Home Alone」について、少し踏み込んだ情報を考えていきましょう。
まずわかりやすく情報をまとめるため、ここでは「1周め」「2周め」「3週め」という言葉を使います。
1周めは実績「表象or现实 appearance or reality」を解除できるプレイのことで、1日め・2日め・3日めを通して見ることになり、エンディングでは少女が死んでいる様子が描かれる場合を指します。
2周めは実績「显现or循环 showing or cycle」を解除できるプレイのことで、コードを入力した後のバグ的表現がなされる場合を指します。
そして3周めは、セーブファイルを書き換えた後のプレイの場合を指します。
ロール(役割)
役割は英語で「ロール(Role)」といいます。RPG(Role-Playing Game)はゲーム内の役割を操作するゲームで、おもに主人公を動かします。主人公というロールを担うゲームというわけです。MOBA系ゲームをよく知っている人にもロールという言葉は馴染みが深いかもしれません。
この項目では、今回のゲームがどういった「ロール(役割)」を担っているのか、担いうるのかを見ていくことにしましょう。
今回の「At Home Alone」のロールは以下のようになると考えられます。
- 芸術的ロール:ややシュールレアリスティックで内面世界を描いている。
- 社会的ロール:小規模ながら「中国製」の「フェイクゲーム」として完成させた。
- 技術的ロール:海外のRPGツクール製ゲームである。
芸術性:シュールレアリスティックで内面的
ここでいう芸術性というのは、最も単純なところではグラフィックや音楽を指し、ときにはゲームデザイン全体をも指します。
そうした芸術性をこの「At Home Alone」で考えてみると、端的なグラフィックはかわいい見た目をしていますが場合によってはチープにも見えるでしょう。そして全体的なゲームデザインは最初の印象がプレイを進めていくにつれてまったく変貌していく「フェイクもの」となっています。なおこの「フェイクもの」という用語はここでの造語に近いもので、「フェイクドキュメンタリー」などに類するものを総じてそう呼称しています。
そしてそうしたフェイクものというゲームシステムとは別に、物語を知ることでこの「At Home Alone」が実に救いのないゲームであることがわかります。
先日「第84回小学館新人コミック大賞」の青年部門で佳作を受賞した「浄土るる」氏の「鬼」という作品が注目を集めていたということで、実際に読んでみました。「救いがない」という点では今回の「At Home Alone」と似ているともいえます。
もしくは「ゆめにっき」のような暗鬱とした内部世界を表現しているともいえるかもしれません。上記の「鬼」はむしろ内部表現をほとんど行わず、登場キャラクタの言動のみで物語が進められます。それに比べるとこの「At Home Alone」では、特に「2周め」のバグ的表現や、「3周め」の霊的もしくは精神世界的な演出を見ると、現実世界のロジックを重視した世界観というより、主人公の少女が殺された後の世界を内面的に描いていると見ることができます。
そして暗鬱とした救いのない内容は、「プレイヤーがどう行動を起こそうがなにも変わらない」という結末を常に示します。「3周め」をプレイしてみると、そうした言葉が「死神」もしくは「神」のような死者の魂とコミュニケーションをとり、場合によっては「救おう」ともする存在のようにも感じられます。
また「1周め」の3日めの少女が少年を銃殺するシーンでは、少年のセリフとおぼしき茶色の文字ではなく、少女のものとおぼしきピンク色の文字で「Mom, save me……(ママ、助けて……)」と表示されます。
屋外の壁に貼られた記事を見ると、少女が強盗に殺されたのだとわかります。推測にすぎませんが、少女は少年を「仲間」に引き入れようとし、偶然か少女が強盗に襲われたときと同じような殺し方をした、というストーリーなのではないでしょうか。
そしてこの後で「計画は失敗」とがっかりしたようなセリフが続きます。時系列としては、「3周め」で少女の魂が救われてから、「1周め」の3日めのように少年を銃殺したという流れになるのではないでしょうか。
そう考えると、どれほど少女の魂は救われないものでしょうか。
ゲームの世界では救いがなく鬱々としたストーリーのものを、「鬱ゲー」と呼ぶことがあります。分類上はそれに属するといってしまっていいでしょう。
攻略情報を教えてもらって
最後までプレイしたけど、
俺はあんまり
ストーリーわかんなかったな。
これといった正解を
提示するわけではなく、
プレイヤーに感じ考えさせる
というタイプのゲームですからね。
シロートはぼーっと
プレイしてるからねー。
たぶんなんも考えずに
プレイしてたでしょ。
悪いか!
悪くはないですよ。
こうしたゲームは
誰もが楽しめるように
設計されてはいませんからね。
フェイクものは嫌いじゃないけど、
鬱系がわたしは苦手かな。
フェイクものと
救いがないのは
また別の要素ですからね。
人それぞれの感想があって
いいはずですよ。
社会性:中国製のフェイクものゲーム
次に社会的なロールについて考えてみましょう。ここでいう社会性とは、単純な開発元の国や地域さなどを示すこともあります。
この「At Home Alone」は中国製のゲームです。英語でも遊べるゲームですが、セーブ・ロード時の画面で中国語が表記されることから、ややデバッグの行き届いていないインディゲームといえるかもしれません。
現在どれくらい中国でゲームの開発が行われているかはわかりませんが、日本で中国のインディゲームがプレイできるというのは珍しいほうでしょう。
台湾製のインディレーベルに「Red Candle Games」というところがあり、2017年1月に「返校 Detention」を、2019年2月に「還願 Devotion」をSteamで発表しています。しかしこのレーベルが有名であるとしたら、2作め「還願 Devotion」が発売中止となっていることではないでしょうか。
中国製ゲームといえば、今はスマホでのゲームで勢いがあるといったほうがいいかもしれません。
しかしやはり中国のインディゲームが日本でプレイできるというのはおもしろいものです。
しかもこのゲームは、メインストリームとはなっていないながらある程度の評価を得ている「フェイクもの」というジャンルを扱っています。もちろんRPGツクール製ということもあり、インディゲームとしては日本のRPGツクール製フリーゲームと大きな差はありません。しかしそこに「中国製」というおもしろさが加わっていると見なすことができます。
技術性:海外のRPGツクール製ゲーム
技術的なロールについては、実のところあまり特筆すべきことはありません。日本ではありふれたRPGツクール製のインディゲームである上、最近はブラウザ上でプレイできるRPGツクール製ゲームもあり、またSteam上でもリリースされ(販売され)ているものがあるので、技術的には大きく評価するところはないといっていいでしょう。
プレイするとどうなるか
前述の通り、この「At Home Alone」は鬱ゲーともいえるストーリー展開がなされています。プレイを始めたところで既に少女は死んでおり、実績をすべて解除するまでプレイしても少女がループや苦しみから解放されるようなシーンがないからです。
こうしたゲームは、プレイする人を選びます。マンガでも鬱系のストーリーはありますが、やはり人を選びます。これはゲームだからというより、やはり鬱系のストーリーが「気分を盛り下げる」ことにあるからだといえるでしょう。
私は鬱系のストーリーはそこまで嫌いではありません。横スクロールシューティングなどは鬱系エンディングが多いといいますし、救いがないエンディングであっても納得して楽しむことができるものがあります(もちろんできないものもときにはありますが)。
マンガでは、鬼頭莫宏氏の「なるたる」や「ぼくらの」をそれなりに楽しんで読みましたし、古谷実氏の「ヒミズ」のようなものも楽しみました。
ここで少し強調しておきたいのは、「楽しむ」という言葉の意味です。ここでは「味わって鑑賞する」という意味で用いています。つまり鬱系のストーリーを見たり読んだりして、笑ったり愉快な気持ちになったりすることとは限らないということです。コーヒーは苦いものですが、その苦味を楽しむようなものです。ふつう人間に苦味は必要ありません。栄養としては不要かもしれませんが、食味として楽しむこともできるのです。
しかしそうでない人も多くいることでしょう。世のなかにはそうしたストーリーを楽しむまでもなく、たくさんの悲しいニュースがあります。そうしたなかでわざわざ創作物でまで悲しく救いのないものを見たくない、という人がいてもおかしくはありません。
私が「鬱系のストーリーを楽しむ」といったとき、前述のようにやはり笑ったり愉快な気持ちになったりすることはあまり多くありません。もちろん鬱テイストよりもギャグテイストが全面に押し出されていれば、笑うこともあるかもしれません。しかし今回の「At Home Alone」のように救いがないストーリーでは、やはり気分が盛り上がることはありません。こうしたストーリーでは、「作者はなにを伝えたかったのだろう」「この演出はどういう意味だったのだろう」「私は上手にこのストーリーを咀嚼できているだろうか」と考えることがあります。これは「余韻が長く続く」といってもいいかもしれません。
こうした鬱系ストーリーは、完全な作り物かノンフィクションかで味わい方が異なります。こうした作者の思惑や演出について考えるのは、完全な作り物の場合だけです。ノンフィクションの場合は、やはり実際に被害者が出ているという形になりやすいので、そもそも「楽しむ」という言葉自体が不適切となるでしょう。
今回のゲームとは異なりますが、「人類が滅亡する」というエンディングのゲームがあったとして、私は楽しむことができるかもしれません。それは人類が滅亡する恐ろしさや悲しさとは別に、「人は恐ろしいことでも考えることができる」という捉え方ができるからです。もしこうした考えを役立つものにするなら、やはり「不幸を未然に予防する」ということになるでしょう。
少なくともゲームは創作物です。マンガや映画と同じように、架空の物語として楽しむことができます。これは「現実ではない」「事実ではない」「フィクションだ」と根っこで理解しているから楽しめるのです。
私はもとより誰に教わったわけでもなくこうしたものを楽しめるので、楽しめない人に対してどう楽しむかを提示することは難しいかもしれません。またそうした人は無理に楽しもうとしなくてもいいのかもしれません。
少なくともこの「At Home Alone」は全貌を見ると鬱系ストーリーであり、気分が盛り上がるものではないことは認めておかなければならないでしょう。
他のものに譬えるとナニ?
そうした指標になりうるのが、「このゲームを料理や食べ物など他のものに譬えたらナニになる?」という情報です。
今回の「At Home Alone」は食べ物に譬えると、「噛むと無糖チョコの粉が出てくる糖衣チョコレート菓子」となるのではないでしょうか。
- 噛むと無糖チョコの粉が出てくる糖衣チョコレート菓子。
- 糖衣なので最初は甘い。
- 最初の見た目はかわいらしい。
- 中身は無糖のチョコで苦い
- プレイしていくと鬱系ストーリーに変貌する。
- 無糖チョコがとてつもなく固い
- 最後までクリアするのがとても難しい。
- 糖衣なので最初は甘い。
このチョコレートは、M&M’sのチョコレートや明治のマーブル(チョコレート)のように、小さなおはじき状の形をしています。柔らかめのチョコレートの周りに固いチョコレートをコーティングしているものです。
今回のチョコは、周りの固いチョコが甘い糖衣状のチョコでコーティングされており、ふつうのお菓子のように甘くなっています。しかし中身の柔らかいチョコは無糖になっていて苦いため、ふつうのチョコ菓子だと思って食べると驚くようになっています。
このチョコで難があるとすれば、ふつうこうしたおはじき状のチョコレートは外側が固めの食感で中側は柔らかくなっているのですが、このチョコは中側がありえないくらい固くなっていることでしょう。アゴの力だけで噛み砕こうと思っても噛み砕けないので、自力でどうにかしようとすると途中で捨ててしまうことになるかもしれません。
実際にどうやって食べるかというと、「ハンマーで砕く」のようにむりやり食べられるようにしないといけません。また溶かして食べやすくするなど、軽く調べると実はどうやって食べるかの情報はすぐに手に入るようになっています。
こうやって見てみると、
すげえ作品だな。
こんなチョコ俺だったら
買わねえぞ。
まあ今回のは
フリーで遊べるゲームだったし、
短く遊べるみたいだったから
手を出しやすかったけどね。
私はフェイクものは
むしろ好きなほうなので、
こういうふうに巧く
騙してくれるなら歓迎しますよ。
次のエントリ
次回のエントリは、この「At Home Alone」の攻略情報をまとめていきます。