「首に難あり」#02【ネタバレ】感想:絵・ゲーム性・エンディングのどれも◎!!!【おすすめ】

ゲーム紹介
脱出ゲーム「首に難あり」を実際にプレイした感想、なぜおすすめなのかの解説をしていきます。

こんにちは、Caffeineです。
前回に引き続き、「首に難あり」の紹介を続けていきましょう!
ネタバレありの感想ですので、ご注意ください!

前回のエントリ(首に難あり・基本情報):
「首に難あり」#01【おすすめ】首に難のあるキャラを使い分けて脱出しよう!【フリゲ】
グラフィック・ゲーム性・エンディングのどれも秀逸な脱出ゲーム「首に難あり」の紹介です。 こんにちは、Caffeineです。 今回ご紹介するのはかなりおすすめな脱出ゲーム「首に難あり」です! タイトル 首に難あり ...

エンディングがなにより秀逸

個人的に一番評価しているのはエンディングです。これは私のなかでは、けっこう珍しいことです。なぜ珍しいかというと、あまり声高にいえることではないのですが、フリーゲームのストーリーというのは評価しづらいところがあるからです。

フリゲのストーリーは評価しづらい

まずなぜフリーゲームのストーリーが評価しづらいのか、述べておきましょう。それはゲーマーが求める「ゲーム性」という楽しさと、フリーゲーム開発者がしたがる「ストーリー描写」の食い違いにあります。

「たまたまゲームが選ばれた」だけのゲーム

いくつものフリーゲーム・インディゲームをプレイしてきて私が感じるのは、「ストーリーを濃くしてゲーム性を薄くするゲーム」の存在です。これは私のゲーマーとしての感覚において、「ゲームを作りたいのではなく、ストーリーを見せる手段のひとつとしてゲームというメディアが選ばれただけ」という印象を強く与えます。これは、おそらく私だけが感じることではないでしょう。

作者の方がストーリーを作り伝える上で、小説・マンガ・動画・ゲームなどいろいろな伝え方があるなかで、ゲームが妥当だと考えたからゲームが選ばれた、というような状況です。こうしたゲームをプレイするとき、私は「ゲームをプレイしている」のか、「ゲームというメディアに仮託された物語を見させられている」のか、わからなくなるときがあるのです。

つまり「ゲームを作りたかった」のではなく、「物語を多くの人に見てもらえる手法としてゲームが採択された」という具合です。いわば「人気者である私の親友に近づくために、まず私に友達になろうとする人たち(=私に興味はまったくない)」のようなものです。

そうした「納得しにくい」要素を認識すると、「人気者の友達」として私を見るのではなく、ちゃんと私を私として見て友達になってくれる人がとても大事になります。つまり、ゲームを「物語を見てもらいやすくする手段」ではなく、ちゃんと「ゲーム」として開発している人がとても大事になるのです。

なおこうした印象をすべての人々が受けるわけではありませんし、そう感じたとしてそれが正しいかどうかは別問題であり、また『すべてのゲーマー・プレイヤーが「ゲーム性」だけを求めているわけではない』という点にはご留意ください。

ゲームの根本は「ゲーム性」

そのため私はゲームを評価する際は、ストーリーよりもゲーム性を重視する傾向にあります。ストーリーはゲーム以外でも語ることができますが、ゲーム性はゲーム以外で表現することが難しいからです。

しかしこの「首に難あり」では、そうしたあまっちょろい考えをサッと吹き飛ばす清涼なエンディングを見ることができます。「終わりよければすべてよし」といいますが、本作は終わりだけがイイわけではない上、ちゃんと引き締まったエンディングを見せてくれるので評価が高いのです。

どうエンディングが素晴らしい?

では次にそのエンディングがどう素晴らしいのかを解説していきましょう。

あらかじめここでは、3人が記憶を残したまま一緒に過ごすエンディングを「ベストエンド」と便宜的に呼ぶことにしましょう。バッドエンドなどでは明確に「BAD END」と表示されますが、この「ベストエンド」の際には「THE END」としか表示されないからです。念のため、わかりやすいよう明確に分けておきましょう。

「適材適所」の具現


フランクな「死んじゃった」。ライラらしいといえばライラらしい。

ネタバレを含めてエンディングの優秀さを説明すると、個人的に一番のポイントだったのは「ライラの生首を『首をひっこめたトルネの体』の上に載せてライラの両親と会話をさせる」というシーンです。このシーンの妙味は、本作のゲーム性として成立していた「適材適所」「力を合わせる」というテーマにしっかり則っていることでより強く際立っています。

ギャグシーンは蛇足


ギャグとシリアスのバランスは意外と難しい。

その分、ギャグシーンとして結局トルネの息が続かずライラの首が落ちてしまう、というのは個人的に蛇足だったと判断しています。このシーンでは、ライラが生き返った死人としてどう現世に留まるかを表現することにもなります。

そのため、このギャグシーンが挿入されることで、「ライラは両親と一緒に暮らすのか?」「蘇った死者が社会に受け入れられるのか?」という別の疑問が浮かんでしまうのです。ですのでもしこのシーンを「最後の別れの会話」にするのなら、ギャグシーンとして扱うべきではありません。

目の前に現れたライラを彼女の両親がすぐさま受け入れるという違和感に対して、トルクが(すげぇ対応力だな。)とツッコミを入れるのはまだ構いません。このシーンでは、トルクは一時的にプレイヤー側の「観客」の立場になっているからです。

しかしこのシーンはエンディングとして特徴的ではあるものの全体の一部でしかありません。むしろ「3人が『協力してがんばった記憶を共有したまま』仲良く現実に戻ってくる」という点のほうが重要でしょう。

そのためギャグシーンで少し興が削がれるとしても、あまり大きな影響はないといえます。

マイナスに相殺されない大きなプラス

私はゲームに限らず作品のエンディングでは、不条理でも納得できるものであればバッドエンディングでも受け入れられるタイプです。絶対にグッドエンディングでないと受け入れない、というタイプではありません。しかしもちろん素敵なグッドエンディングであれば、そちらのほうがずっと好きになることもあるでしょう。

本作のベストエンドは、キレイにまとまったエンディングです。物語の謎や違和感を残してしまうようなこともなく、そして3人のキャラクタがゲーム開始時より明確に幸福になり、さらに神社の神様などのユニークなキャラクタ性も示すことができている、立派なエンディングだと評価しています。


首だけライダーのライラも肉体を再び得られるように。

さきほどの「ギャグシーン」のように少しひっかかるところはあるものの、そうした部分を妙に意識しなければ、素晴らしくまとまったエンディングだと感じられるでしょう。
プラスと判断できる部分がとても大きいので、マイナスに映る部分が多少あってもまったく相殺しないのです。

これは「ノーマルエンド」では、ライラ以外の記憶がなくなっていて、たとえ3人がある程度 仲良くなっている(=バッドエンドよりはマシである)ものの、やはりベストエンドのほうがずっと納得しやすいエンディングだからなのでしょう。

納得しやすい理由は、ノーマルエンドでは「記憶」を(ライラ以外が)なくし、「そこそこ」しか仲良くなっていないところであり、ベストエンドでは彼女たちの願いは思うように叶わなかったものの、そうした願いよりずっと大切な「絆」を手に入れたところにあります。

その物語を見た後でどう変化するか

物語において重要なのは、「その物語を鑑賞した後でどう変化するか?」です。つまり作品の開始時点と終了時点で変わるものがあるはずで、なにがどう変化するのかという点が、とても重要なのです。

「なにが変化するか」というのは問い方によって変わりますが、一番重要なのは「鑑賞者の感じ方がどう変化するか」です。最低なのは鑑賞した後なのに知識が深まらないし気分を悪くさせて損した気にさせてしまう作品です。最高なのは知識が深まり気分を高揚させ鑑賞してよかったと思わせる作品です。

他に重要なのは「作品内のキャラクタがどう変化するか」もあります。受け入れられやすいのは克己、つまり「冒頭では弱かったキャラクタが作品を通して成長し、己の弱さを乗り越え、最後には立派に強くなる」という成長の物語です。逆に人類滅亡の物語であれば、最初はたくさんいた人間が、最後には0になるという変化を示しています。

これを踏まえると、本作のベストエンドは立派な「克己」のテーマを見せてくれます。特に、主人公トルネの変化が著しいでしょう。それだけでなくトルクもライラを含めた3人が仲良くなり、ゲーム開始時よりも幸福になっていると判断できるエンディングになっています。
だからこそ評価も高くなるのです。

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グラフィック

続いて本作のグラフィックについて私なりに客観的に捉えてみると、しっかりしたクォリティの絵だと感じました。人によってはより魅力的に映るかもしれませんし、逆にマイナスとして見えるかもしれません。


サブキャラも巨乳。作者の趣味か、受け筋を狙ってか。

客観的に見ると「メインキャラが女性ばかり」や「女性キャラのグラフィックが巨乳」であることは、なんら評価点にはなりません。これは私の性的嗜好とは関係してきません。どちらの要素も「人によってはメリットになり、別の人にとっては批判対象となる」というものだからです。

女性性の強調は抵抗も生む

最近の例でいうと、やはり「献血の『宇崎ちゃん』の広告ポスター」が顕著でしょう。
私が巨乳を好きか否かにかかわらず、また広告の担当者が巨乳を好きかどうかにかかわらず、そうしたものを好きな人が受け入れてくれるメリットと、そうしたものを嫌いな人がどう感じどう反応するかというリスクを、同時に判断しないといけないからです。

おそらく現状では、ゾーニングとして「嫌いな人の目に届かない」程度であれば、そうした人を傷つけないし炎上もしないという具合でしょう。
これはフリーゲームであっても「多くの人にプレイしてほしい」と考えるであろう作者の願望と明確に衝突します。そのためこうした少し危険だけど受け入れる人も多い要素をふんだんに盛り込むのは、リスクを受け入れておかないと難しいのです。


神の使いの服装は亀甲縛りを模したものか。

特にネットでの炎上は「両者が納得できるような答えを見つけ出す建設的な行為」ではなく、「互いに嫌なところを叩き合う攻撃の応酬」になりがちです。そのためこうした要素で炎上することは、百害あって一利なしとまではいかないものの、場合によっては九十五害くらいあると考えられるリスキーな行為です。

もちろんフリーゲームの作者として、「そこそこプレイしてもらえればいい」というくらいの願望であれば、批判的な意見との衝突を大まかには避けられるでしょう。そこは制作者の判断によって変化します。

ゲーム性

ボリュームは小さく短めの作品ではありますが、操作できるキャラクタはどれも特徴的でしっかり区別されており、しっかりとゲーム性が確立されているといえます。

厳しく見ると、ゲーム性はやや軽め

さきほどゲームは「ゲーム性」が重要だと述べました。もしその点を純粋に追求するのなら、本作はゲームとしてはさほど優秀とはいえません。なぜなら、本作のゲーム性を特徴づける「敵から逃げる」という要素のボリュームが小さいからです。敵の種類も1種類ではなく3種類など増やしておいたほうがよかったでしょう。

これは市販のゲームまで視野を広げたときの批判です。フリーゲームとしての批判ではなく、有料のゲームも含めて判断すると、「ボリュームが小さい」と述べているのです。
そのため、ある種「当然」のことなのです。

これはいいかえれば「もうちょっとボリュームあったら市販のゲームと遜色ないよね」とでもなるでしょう。もちろん「フリーゲームだからしかたないんじゃない?」とたしなめられれば「そうだよね」と簡単に矛を収める程度の批判なのです。

総合的に「素晴らしい」

これらの3つの面から総合的に判断すると、個人的には「素晴らしい」といっていいレベルだと思います。たとえ強調された絵の表現があまり好みでない方でも、エンディングとゲーム性の合わせ技で充分に魅了できるのではないでしょうか。

こうした判断から究極的に相性の悪いプレイヤーを敢えて想定してみると、「強調された女性の絵が嫌いで、ゲーム性をなによりとことん重視して、ほんの少しでもエンディングに半端な要素があると許せない人」にでもなるでしょう。そうした人は、もはやフリーゲームの多くを楽しめないのではないでしょうか。

それ以外のほとんどの人は、最初から本作をそれなりに楽しめる素養があるとすらいえます。

さいごに

私はこうしてフリーゲームやインディゲームをたくさんプレイしてきており、そのため新作などいろいろな作品をご紹介してきています。むしろそうした経験値があるからこそ、個人的な好みを別としても本作を楽しめるという部分はあります。

しかしそれ抜きでもエンディングのまとまりが非常によかったので、私はこの「首に難あり」を広くおすすめしたいと思いました。できればこの作品を楽しめるであろうたくさんの人に、私と同じ「納得」や「まとまりのよさ」を感じていただきたいのです。

最後にもう一度ダウンロードサイト「ふりーむ」の本作のページリンクを掲載しておきます。このネタバレ感想を読んで、まだプレイしていない方は少ないと思われますが、もしご自身で内容を見ておられない方は、ぜひダウンロードしてプレイしてみてください!

首に難あり:無料ゲーム配信中! [ふりーむ!]
「首に難あり」:タートルネック(体質)
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